花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

貧すれば鈍すると云う言葉と他力本願の真意 3

2018年02月17日 07時39分11秒 | 歓びの心柱

昨日は,平安時代に貧しいお百姓さんの為に,自ら立ち上がった平将門公を少しだけ書かせて頂きました。

その将門公は,現在の茨城県常総市に本拠地を構えますが,今の時代でも茨城県の常総・坂東一帯では絶大の人気があるのです。悲しいかな,将門公は悲運の猛将,朝廷への反逆者として後世に伝え続けられてしまっていますが,その実情は全く違います。そのことは昨日も記事にて書かせて頂いた通りですが,平安時代の当時,将門公に助けられた貧しいお百姓さんたちの感謝の想いは現代でも語り続けられており,その感謝の想いは,将門公をお祀りする祭祀場所を御守りしているのではないでしょうか。

巷で言われている,祟りに怨霊云々は,私には?です。

確かに,日本にはその様な怨霊思想と云うものが存在することは知っていますし,あるのかも知れません。しかしながら,普通に考えて見れば一般に普通に生活している人には関係のない話だと思うとともに,そもそも人のお墓や祭祀場所に興味半分,遊び気分で来たら誰だって怒ると思います。スピリチュアル気分で何とかツアーとは危険極まりない行為としか私には理解できないのです。本当にその御霊を供養したいと考えるのであれば,その行為はとても尊いことであろうと思います。祭祀にはお遊び厳禁であります。

それでは,記事の本題に戻りたいと思います。

人の心を扇動する為にもこの「苦労美化説」はされて来たのではないでしょうか?ただ苦労することは良いことだと・・・。宗教の教義や説法でも苦労を題材にしているのがありますが,言葉は人と場所をわきまえないと時には危険なものへと変貌してしまうことがあるので気を付けて行くことが大切なような感じがします。確か,前にもこのブログである宗教家が観音さまについての講演をしている音声をインターネットで拝聴したことがありました。しかし,話していた内容に対してとても疑問でした。

いいのかな・・・? そこで話を終えてしまって・・・? それ無責任じゃない・・・?

宗教家曰く,信者の皆さんへ一般の人たちは神社やお寺に厄を落としに行くんだ。しかし,わたし達は神社やお寺に役を貰いに行くんだと云う話の趣旨でした。どうでしょうか?皆さま。とても短い言葉ですが,皆さまは神社やお寺に厄を落としに行かれますか?それとも役を貰いに行きますか?私的にはもちろん真っ向から両方違うと想っていますが,私が何故その宗教家の言っている話に疑問を抱いたかと云うと観音行と云うものは自分自ら地獄の淵をさ迷っている人のもとへ行くと云うことなのであります。

生半可なことではありませんし,中途半端な事ではありません。だって,自分も地獄へ行かなければならないのですよ。そんなこと中途半端で安易な気持ちで出来る訳ないのであります。さ迷っている相手の念を自分に落とし込める人でなければ到底無理ですし,苦労の為の苦労が付きまとってしまいます。藁にもすがる思いで相手はいるのですから,やはり,生半可な気持ちでは無理です。

そのことを講演で信者さんへ話さずに,何かヒーロー役でももらえると勘違いしてしまって居る様に感じたのです。きっと,講演会に参加していた信者さんたは,その言葉をそのまま信じてしまい,人の因縁まで背負ってしまうのではないかと思います。

自分の心を傷つける苦労は絶対にしてはなりませぬ。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝



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