3月が来ると 東日本大震災から...
6年という月日が経過しますが 
いまだに 震災以降 初めて会った友人には
「 生ぎでだんだっちゃ! 生ぎでだんだっちゃ!
   いがったなぁ いがったなぁ 」
( 生きてたんだね! 良かったね )と
人目も気にせず お互いに 
手を取り合って涙することがあります
 
雄勝町で被災した後
みんながバラバラに避難生活を送っていますから
同じ地域の仮設住宅にでも住んでいない限り
逢えないでいることが 当たり前の生活です
 
被災して 住んでいた故郷に住めなくなり
身の回りの環境が すっかり変わってしまったのです
 
ですから 街中で不意に雄勝の人と出会うと
何とも言えない気持ちになり
お互いの体を気遣い 不便はないかと尋ね合います
 
「 生きていてくれて嬉しい 」
 
決して良い人だと思われたいわけではありませんし
自分の事を優しい人間だとは思いませんが
ふつふつと湧き上がるこの気持ちは
いったいどこから湧いて来るのでしょうか
 
私の心は 今でも悲しさに至りません
津波に対する怒り
母や祖母を守れなかった怒り
多くのかけがえのない命が喪われたことへの怒り
防災減災に対する考えが甘かった自分への怒り
まだまだ 書ききれない怒りでいっぱいです
 
私が語り部で流す涙は 悔し涙です 
自責の念などという言葉では
到底 片付けられないものなのです
 
そのギャップなのでしょうか
災害にあい 被災した方とお話しをして
ご家族が無事であったとお聞きすると

「 生きていてくれて嬉しい 」 
 
心の底からそう感じるのです
 
私という人間は非常に未熟です
人様のためにという思いよりも この
「 生きていてくれて嬉しい 」が 本音なのです
 
被災した状況下で生きることは
身体も 心もとても苦しく 想像を絶します 
それでも 生きているということが
家族の希望になり 力になるのです 
 
例え災害に見舞われても
皆さんが生きていて下さったら嬉しいのです
ただ ただ 嬉しいのです
 
皆さんが 災害時に家族と離れ離れになっても
生きて「 また会えたね 」と抱き合えることが
私の語り部としての芯(心)なのです
 
一生背負うような 怒りや 悲しみは
人生そのものを変えてしまいます
人間も簡単に変えてしまいます
経験しない方が良いものも 世の中にはあるのです
 

 
被災した人間の気持ちの一端です
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語り部佐藤麻紀