法テラスでの相談内容の前に…。
一昨日の母の訪問について書こうと思います。
一昨日の夜、結局、母は家に来ました。(家は、実家から徒歩10分ほどの距離です)
後1~2分で日付も変わろうかという時でした。
家に上がることもなく(いつものこと)、玄関で30分弱の立ち話をして、帰って行きました。(無料相談より短いって…)
そこで知った、父の真実。
父は、私が小学校6年(だった筈。5年だったかな…)の12月のある日、突然、行方がわからなくなりました。
帰って来なかったんです。
帰って来なくなって2日目だったと思いますが…。
私が学校から帰ると、黒ずくめの人たちで家が埋め尽くされていて、かなり驚いたのを覚えています。
(父は不動産会社に勤務していたので、スーツ姿の会社の人たち…とのことでした。でも、もしかしたら、警察の人だったりしたかもしれません)
そこから、私と妹は突然、母の姉である伯母の家に行かされ…。(丁度、冬休みに入った日だったと思います)
有無を言わせず、泊まらされました。
そのまま1週間ほどが経過したある日、伯母の家に、母から電話が掛かって来ました。
父が帰って来た、と。
電話が代わられ、私が出ました。
『お父さん、帰って来たから。
でも、仕事の処理が色々あるから、もう少し伯母さんちに泊まっててくれる?』
女だな、と思いました。
母と父だけで話し合いをしたいんだな、とも思いました。
でも、母が子供に言いたくないのであれば、知らない振り、わからない振りをしようと思いました。
妹はまだ、10歳にもなっていません。
少なくとも、妹は知らなくていいこと。
私が妹を守らなくては、とも強く思いました。
そこから何日後だったのか…。
ようやく家に呼び戻され、帰ると、父が居ました。
部屋の真ん中で夕日を背に立つ父の顔は、私からはまったく見えなくて…。
近寄ると、強く抱き締められました。
可愛がっては貰っていたけれど、そんなことはされた記憶がありませんでした。
なんだか何にも気持ちが動かなくて、なんだろう、この白々しさ…とか思っていました。
父が状況に酔っているだけのように思えて、回された腕からも、頬が押し付けられた父の体からも、何も伝わって来なくて、気分が悪くなりそうでした。
でも、これで父が自分を許せて、満足するのなら、それでいいか、とも思っていました。
どのタイミングだったか…。
数日後だったか、もっとずっと何年も後だったか…。
女だったんじゃないか、という話を母としたことがあります。
『それはないと思う。
お母さんも、そう思ったけど…襟も袖も薄汚れてるし…。
どこか、カプセルホテルとか、泊まり歩いてたみたい』
母は確かに、そんなようなことを言ったのです。
実際、私が見た父も、薄汚れた印象でした。
女のところに泊まっていたのであればもう少し身綺麗な筈、と言われれば、確かにな、と思えました。
ここから、父は何度も、帰宅しない日々を繰り返すことになります。
真面目に帰って来る日が続いたと思えば、ある日突然、何日も帰って来なくなる。
そんな日々が、何年も続きました。
"帰宅拒否症候群"という言葉が、TVで話題になり始めていた頃の話です。
母は、パニック障害になりました。
一昨日、私と話す中で、母が突然言いました。
『お父さんだって、あれ、女だからね』
…は?
『女じゃないって言ったじゃん。
帰宅拒否症候群だって』
『女だったの』
語弊を怖れずに言うのであれば、実は、ちょっと和みました。
母も私に打ち明け話をするようになったんだなぁ…とか。
以前であればプライドが邪魔したであろうことを、認められるようになったのかなぁ…とか。
この事態になって、母は私を同志と思ってるのかなぁ…とか。
そして当時、私は、いっそ父に女を作るぐらいの甲斐性があった方がよほどマシだった、と思っていたのです。
そのぐらい、父の言動も行動も、子供心に情けなく…。
でも、そっか…。
女だったんだ…。
『お母さんだって、本当に色々大変だったんだから』
うん。
それは知ってる。
『なんでそんなこと出来るのって…。
あんたたちのことも、ある日突然、捨てたわけだからね』
なるほど…。
そっか、そういうことになるよね。
『今だって、お父さんのことを許したわけじゃないからね。
でも、私にはあんたたちが居たから』
うん。
それも知ってる。
当時は、それが嫌だった。
別れるチャンスは、何度もあった。
別れようと思ってると、母が決意と共に相談して来たこともあった。
それは私が18歳の時。
私は即答で、いいよ、と言ったのに。
別れなよ、と言ったのに。
妹を守る覚悟も、自分で生きていく覚悟も、していたのに。
母は、別れられなかった。
あんたたちの為に…と、何度も言われた。
私は、そんなこと望んでいなかったのに。
これっぽっちも、望んでいなかったのに。
母は、1人でやっていく決心が、つかなかった。
それが、本当に嫌だった。
ドロドロでグチャグチャでウダウダしているだけの背中を見せられ、喧嘩ばかりの日常の中で当たり散らされるぐらいなら、それぞれが前向きに幸せを掴んでいく背中を見せて欲しかった。
子供のせいにしないで欲しかった。
でも、もう、言っても仕方ないから。
ここまで来ちゃったもんね。
今回の、母の突然の優しさの理由が、少しわかった気がしました。
立場は違えど、同じような経験をしたから。
わかるんだね、私の気持ちが。少しだけ。
そんなわけで。
30分に満たない立ち話の、半分近くは母の話だった気がします。
母は基本、自分以外の他人のことに興味がありません。
一方で母には、他人の苦しみや悲しみに感情移入し過ぎてしまう一面もあるにはあって…。
他人への驚くほどの無関心さは、もしかしたら、母の無意識の自己防衛なのかもしれません。
『もうさ、男なんてそんなのばっかりなんだから。
でも、中には本当にいい人もいるから!
こうなったら、前を向いて行くしかないよ。
次の人を探そう! 幸せになろう!』
……。
なんでそんな、肩の荷が下りたというか、力が抜けてるというか、楽しそうというか…。
同志が出来たから?
いや、励まそうとしてくれてるのかもしれないけどさ。
もしくは、自分に重なり過ぎて、向き合うのがしんどいのかな。
まぁ、いいけどね。
貴女がそれで満足なら。そうしたいなら。
残念ながらこっちは、まだそんな心境には到底なれないけど。
自分に照らし合わせれば、そこ、わかる筈だけどな…。
『あんたたちが幸せになってくれないと、お母さん、何の為に今まで我慢して来たのか、わからなくなるから』
出た…。
…まぁ、そうだよね。
そう思う気持ち自体は、わかるよ。
貴女は貴女なりに、精一杯だった。
それは知ってるよ。
でも、残念ながら、貴女たちを見ているから、妹は結婚の意味がわからないんだってさ。
私は、幸せになりたいと思うけど…。
そして、今度こそ、幸せになるつもりだったんだけど…ね…。
『ね!
次はちゃんと普通の人にしてよね!』
母は笑いながら、元気に去って行きました。
黒字の部分は、私の心の内です。
一部、知ってるよ、ぐらいは伝えたりもしたけれど…。
それ以外は、その都度、適当に合わせたり、当たり障りのない返事をしました。
でも、20数年越しに父の真実を知れたことは、思わぬ収穫であり、良かったのでした。
だけど、そっか…。
私も妹も、あの時、父に捨てられていたんだなぁ。。