私は、4歳の時に関西から福岡に引っ越してきました。
(両親は北九州と筑豊それぞれの出身だけど、大昔は県外に住んでいた)

最初に住んだ所は、福岡市早良区(引っ越してきた昭和48年当時は西区)

両親は夜勤の仕事をしていたので、昼間は保育園に行く前までは住んでいたアパート(今は無い)から歩いて3分くらいの西鉄バス&昭和バス・原バス停まで行ってバスを眺めておりました。

昔は、子どもがそんな所にいても安全でしたね。

当時は近所に同年代の友達は居なくて、バス停に行ってバスを眺めては、妄想乙になりますが来るバス、来るバスに話しかけてました(^_^;)

流石に声に出す事は今は無いですが、子どもでしたので声出てましたねあんぐりうさぎ

今でいうと、バスを擬人化してますね笑い泣き

そんな中、私に一生忘れられないバスが現れます。


忘れもしない、小学5年生だったある秋の夜…夜の街もみじ

私の父は、お酒を飲み過ぎると今でいうDVをする男でした。まあ、普段から私にだけ暴言吐いてましたが。(暴力は殆ど私に。母は滅多に殴られなかった)

学校から帰ると仕事休みで家に居るはずの父が居ない。
母は仕事だったのですが、職場に電話したら帰ってきました。
2人で電話を待っていたら、ベル(大昔は黒電話でした)が鳴ったので私は『お父さん?!』と言って電話に出ると切れました。

母の仕事関係だったみたいで、その後父から電話があり、その出来事を母が父に話してました。

父を迎えに行きました。
父は車に乗る前に後部座席のドアを開け『貴様!母さんの仕事相手を減らす気か!』と言いながら私を殴り始めました。

眼鏡はヒビが入り、フレームは曲がってしまいました。
顔も酷い有様。

すると、後ろからクラクションが聞こえてきました。

西鉄バスでした。

運転士さんが『何ば、しよるとか!(何をしてるんだの博多弁)』と言いながら私たちの車を追い越しました。
今なら、携帯で通報されてますね。

その時のバスが福岡22か1748・西鉄番号8770壱岐営業所所属だったのです。


それ以来、不思議な事に何か私に嫌な事があると必ずと言っていい程そのバスに逢いました。

それも、中学時代には城南区、高校時代は南区、高校卒業後は須恵町と引っ越しを繰り返しても、天神や博多駅に行くと、そのバスに逢いました。

最後は西鉄の教習所で教習車として活躍し、私が22歳の頃にいつの間にか消えてしまいました。

今は、福岡200か1748が那珂川営業所にいます。

このバスとのお話は、また次回の講釈…

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