私がヨーガを始めた頃は、
 
 
地下鉄サリン事件の影響で、
 
日本でのヨーガのイメージは良いものでなかった。
 
最初に始めたのはフィットネスクラブのヨガクラスだったのだけど、
 
参加者はいつも1〜3名ぐらい。
 
夜は週に1クラスしかヨガクラスがなかった。
 
 
 
私は当時からあまりテレビを見なかったので、
 
事件のことはもちろん知っていたけど、
 
事件とヨーガの関係をあまり知らなかった、
 
 
どちらかというと、
マドンナや、
大好きだったレッド・ホット・チリペッパーズのメンバーがヨーガや瞑想にハマっているのを聞いて、
 
「へぇ、以外だな」なんて思っていた。
 
 
ヨーガに対して、ニュートラルに捉えていたと思う。
 
というか、興味がなかったと言った方が良いかな・・
 
 
 
ヨガクラスに初めて出た時の衝撃は今でも覚えていて、
 
それから欠かさず週1回のクラスに参加するようになった。
 
 
周りに興奮気味にそのことを話すと、
 
「え!?大丈夫なの?」とか、
 
「やめたほうがいいんじゃないの?」とか、
 
「はー?宙とか浮くの?」とか、
 
100%ネガティブな答えが返ってきたので、
 
 
「これって言わない方が良いことなんだ」と学習し(笑
 
それから誰にも言わずにせっせとクラスに通った。(数年)
 
 
 
今のヨガブームの前に、ヨーガを教え始めたので、
 
活動を始めるにあたり、
 
 
「ヨーガは怪しくないですよ」
 
「私は安全な人ですよ」と、
 
誰にも何にも言われてないのに、そんなアピールをずっとしていたと思う。
 
 
ヨーガが好きで、ヨーガを信じていたのに、
 
自分の中に矛盾があったな、と思う。
 
 
それにまだヨーガに対して腹をくくれてなかった。
 
ナヨナヨしてたよね。
 
写真はネットからお借りしました
 
OM(オーム(ン))
どう聞こえますか?
音自体はニュートラルです。
 
 
 
以外に思われるのだけど、
 
私は無神論者(もちろん無宗教)で、
 
輪廻も信じてない(興味ない)。
 
 
「悟り」も、興味ない。
 
 
死んだ後のことにも興味がないから、
 
白洲次郎のごとく、
 
「葬式 無用、戒名 無用」
 
もちろん、お墓も無用。
 
というか、私なりの死にたいする考え方がある
 
 
パワースポットも神社も興味ないし、
 
お祓いもしない。
 
 
暦や占いや風水的なものも興味がない。
 
 
ニューエイジとかスピリチュアルとか、
申し訳ないけど、苦手。
 
 
 
信じてるのは、
 
ヨーガ・ヴェーダ。
 
数学や科学(詳しくないけど好き)。
 
仕事。
 
(適切な)努力。
 
周りにいる人たち。
 
自分の感覚。
 
十分すぎる。
 
 
 
こんな私がなぜ、
 
「ヨーガは怪しくないですよ」
 
「私は安全ですよ、宗教とか関係ないですよ」と、
 
アピールしなきゃいけないのよ!
というか、誰にも頼まれてないっつーの
 
 
とある日気づき(笑
 
 
足枷のように重く感じていたことを、
 
スパーーーーっと手放したのでした。
 
結構長く持っていた執着でした。
 
 
 
自分の信じているもの、自分の人生を受け入れられたら、
 
自分の今まで学び溜めて来た知識が爆発して(笑
 
それを、
たくさんの人たちが受け取ってくれるようになった。
 
 
それが誰かの役に立ったり、
 
楽しんでもらえることもあって、
 
それがとても嬉しくて。
 
 
もっとヨーガが好きになって、
 
もっと信じられるようになった。
 
 
前進するために足かせになるものを外すと、
 
ブイーンと前進する。
 
 
 
前進するためには、
 
「練習(行動)することと、
 
執着を取ること(足かせと取ること)両方が必要」
 
とはヨーガの教え。
 
 
身を以て経験して、本当にそう思うのでした。
 

 
世界のトップアスリートも瞑想(ヨーガ)は欠かせない。
 
 
 
そうやって、目の前の風景がどんどん変わっていく。
 
 
これからも前進して行こう。
 
 
 
 
あなたが前進するときに、
足かせとなっているものはありませんか?
 
もし思い当たることがあったら、
 
思い切り手放してみたら、
 
軽やかに前進するかもしれませんよ!