銃社会と人種的偏見によって繰り返される悲劇 | A Humanitarian Philanthropistのブログ

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 アメリカでは今年だけで123人もの黒人が警察官によって射殺されているそうです。

 その中には上のビデオのように何も武器を持っていない黒人が射殺されるケースも含まれています。

  7月初めにもルイジアナ州とミネソタ州で警察官による黒人の射殺事件が発生し、その抗議デモの参加者が報復で5人の警察官を射殺するという事件が起きました。

 そしてまた、今月の16日にはオクラホマ州タルサで上記のビデオの事件が起きました。

 そして9月20日はまたもやノースカロライナ州シャーロットで警察官による黒人射殺事件が起き大きな抗議デモに発展しています。

 一体何故このような悲劇が繰り返されるのでしょうか?

 僕自身も昔 L.A.に住んでいる時に、交通違反で(初めて!)警察に止められた時、当時まだ警察に止められるのに慣れていなかった僕としてはどう対処してい良いのか分からずに、車を止めて車外に出ようとしました。普通は無断で車外に出ては絶対にいけないのでした。

 すると、後ろから警官二人が銃口をこちらに向けて、「動くな!動くと撃つぞ!」と大声で叫んでいるではありませんか。本当に今にも銃撃してきそうな殺気立った雰囲気にかなりビビりましたが、取りあえず両手を上げて、言われる通りにしました。

 それで免許証を見せろと言うので、その時はまだ赴任したてで、正式な免許証も出来上がっておらず、運転免許所でもらった紙の仮免許の様な書式しかなかったので、免許はバッグに中にあると答えると、「何でバッグの中にあるんだ!?」と怒られて、自分でバッグを触ろうものなら即座に撃たれそうな感じだったので、手を挙げたまま、口だけで助手席にバッグがあるからその中に仮免許の紙があると説明すると、一人の警官が僕に銃口を向けたまま、もう一人の警官がバッグを取り出してその中から仮免許を見つけてくれて、ようやく怪しい奴ではなさそうだという事を分かってくれて、普通に話してくれるようになりました。

 それまでの約5分間はその警官二人はこちらに銃口を向けたまま、ずっと大声で叫び続けていて、あの時に僕がちょっとでも更に変な動きをしていたら確実に今頃はこの世にはいなかったと思います。

 警察に止められるのが慣れていなかった僕の行動は、彼らからして見れば、不審者そのもので、完全に射殺する気まんまんであったことは確実でした。何故なら、銃社会のアメリカでは、警官が少しでも隙を見せたら、即座に銃で反撃される為、警官も命がけなのであります。

 あのとてつもなく殺気立った大声は、彼ら自身の恐怖心の表れであり、こいつはまともじゃないから必ず反撃してくると思われていたのであります。

 上記のビデオの黒人もぶつぶつと独り言を言っていたらしく、警官から超怪しい奴だと思われてしまったのだと思います。そうなったら、どこに銃を隠し持っているか分からないので、彼の手がちょっとでも下がったら、次の瞬間には自分が撃たれるかも分からないため、ちょっとしたことで撃ってしまったのだと思います。

 やはり、自分が殺されるかもしれないという恐怖心と、黒人は犯罪者が多いという偏見によって、このような悲劇が繰り返されるのだと思います。

 せめて足とか死なない所を撃てばいいのにと思うかもしれませんが、お互い銃を持っているという前提では、急所を外した方が殺されるという鉄則があり、撃つときは必ず相手が死ぬように撃つのであります。

 それが銃社会の恐ろしい現実なのであります。

 アメリカでは年間1000人位の人が警官に射殺されるそうで、警官は30人位犯人よって射殺されるそうです。

 つまり、警官に射殺される人の方が圧倒的に多い訳でありますが、その多くが警官の恐怖心と撃たれる前の予防策として殺されている場合が多いという事だと思います。

 射殺されるというのは死刑と同じなわけですが、実際に死刑になるのは余程の凶悪犯罪でないとなりません。そう考えると、大したこともしていないのに、場合によっては、本当に何もしていないのに、簡単に射殺されてしまうというのは、法治国家としては実に理不尽な話で、そういう意味では銃社会のアメリカは、法治国家としての基本原則に悖る現状であることをもっと反省すべきではないかと強く思う訳であります。