からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

上田正樹 悲しい色やね ~OSAKA BAY BLUES.MP4

2018-02-27 | 音楽
上田正樹 悲しい色やね ~OSAKA BAY BLUES.MP4


多分、歌の世界で大阪というものを一番印象付けた曲。

歌っている本人は京都人なのにね。(^。^)y-.。o○

Alacran — Reflejo de Luna


スペイン語?アルゼンチンの曲かな?

それはともかく、画像も曲も一種、異様な圧力を感じる。

怖いけれど、逃げられず、引き込まれてしまうといったような、蟻地獄の世界。

そんな風に思った。




じいちゃんと孫の複雑な関係



さて、おじいちゃんと孫といえば、「猫っ可愛がり」という単語が思い浮かぶ。私はね。

でも、私の父は孫である私の長男に対しては厳しかった。

というより、二人はまるで喧嘩仲間のような関係だった。

顔をあわせれば、気に入らないことをすると父は怒り、長男も負けずに応戦した。

多分、私の記憶では長男が小学校に入ったころから。

長男が父のいる一階に降り、数分もすれば「てめぇ」とか「こんガキが」なんて野蛮なことばが始終飛び交っていた。

勿論、殴り合いなんてことはなかったけど、それは父が病気で長期入院するまで続いた。

長男が高校生になる前だったか?

父が家にいなくなってからは、長男は妙に大人しくなった。

寂しいのであろうか?

でも長男は誘っても、お見舞いには5回に一回くらいの割合しかいかなかった。

行っても、病室の窓から外を見てるばかりだ。

父は父で極たまに「あいつはどうしている?」というだけで、気にしてない風を装っていた。




父が入院して4年、父はあきらかに衰弱してきて、いつ行ってもおかしくない状態になった。

すると父は私が行くたびに「あいつは勉強してるか?」と言うようになった。

長男は、その年受験に失敗して浪人生活を送っていた。

勿論必死に勉強してるし、そういう姿を見ているので「ああ」と私は答えていた。

長男が受験に失敗したのは、本人にとっていつ辿り着くか分からない山頂にあるレベルの高い大学を狙っていたから。

つまり旧帝大を標的にしていた訳だ。

ただ、何故旧帝大なのか少し不思議だった。

確かに旧帝大はレベルが高いが、実質的には東大と京大以外の旧帝大はどんぐりの背比べだし、それらより優秀で有名な大学はいくつかあった。



その年が明けて父は肺炎にかかり、ほぼ意識のない状態になる。

頼りない意識の中で父は何度か「・・・・行きたかったなぁ」と呟いていた。

何のことだか分からなかった。

でも何故かその言葉は憶えていなければいけない気がした。

長男がセンター試験を受けたあと、本試験の願書を出すころに父は息をひきとった。

それから三日間は通夜、葬式など忙しくなり、受験まであと一か月を切っていた長男も巻き込まれたが、彼は何でもない風を装っていた。

私は葬儀のあと、いろいろな手続きに追われながらも、あの「・・・・行きたかったなぁ」という言葉を考えていた。

それにしても、長男はそういった「突然の出来事」があったのにも関わらず、よく頑張ったと思う。

何でもない風を装っていたとしても、精神状態は最悪だったに違いない。


受験が終わったあと、長男はやはり抜け殻のようになった。

2月の終わりにあの精神状態のまま試験を受け、3月10日に発表だったから、その間は彼の好きにさせていた。



3月10日AM.10時 

私と長男はパソコンの画面を見つめていた。

合格者の受験番号を追い、二人で受験番号を探していた。

順番を追ってゆっくり、ゆっくりと・・・。

私がそれでも数字の羅列に追いつかないでいたら、長男が突然叫んだ。

「やったー!」

「えっ?おいおい受かったのか?そうなのか?」

振り向いて、また私はパソコンの画面に目をやった。

・・・あった。

私は長男の方にまた振り向き、なにか声をかけてやろうとした。

すると長男は、尻のポケットからなにやら取り出し、呟いた。

(やったぜ、じいちゃん)

よれよれになった父の写真だった。

その瞬間、私は全てのことが繋がったような気がした。

昔、父は私によく話していた。

「・・・・戦争がなければ、帝大に行きたかったんだ」

しかし息子の私は、とうとうその願いを継ぐことはできなかった。

こいつはどこかでその話を、多分・・・。

きっとそうだ、そして約束を・・・、そしてそれが父のあの時の呟きの正体・・。

涙が出た。

とめどなくあふれ出した。


長男は座敷に移り、大の字になって寝ころぶとぴんと両手を立て、写真を眺めながらこう言っていた。

「ざまあみろ、へへ」

私は長男の目尻にもなにやら流れ出しているのを確かに見た。

「あんたは最高のじいちゃんだったよ」

長男の身体に窓から陽が差し、顔を照らしていった。

暖かい。

もうすぐ春になる日の出来事である。






コメント (8)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Челси - Крылья | トップ | ひとりぼっちのメリー/アー... »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
この話 (yottin)
2018-02-27 20:59:17
しみますねえ~
お久しぶりで^す^ (のしてんてん)
2018-02-27 22:57:59
久しぶりにからくさんの小説読ませてもらいました。

からく節、いいですね。
見えないところにある信頼が見えたとき
人は心地よい感動を覚えま^す^

じっちゃん、よかったね
Re.yottinさま (からく)
2018-02-27 23:21:14
コメントありがとうございました。

今回のお父さまのこと、本当に気を落とされたことと思います。
本当は先にあなた様のブログに、コメントするべきでしたが、何故か躊躇いたしました。今はまだだめかも・・・、特にブログでのやりとりの中では、と思いました。申し訳ありません。

この話は、私の父と長男のことを思い浮かべながら書きました。脚色はありますが、芯のところは嘘はありません。

またyottinさまのブログに寄らせていただきます。
よろしくお願いいたします。
Re.のしてんてんさま (からく)
2018-02-27 23:29:55
コメントありがとうございます。

お久しぶりです。

そうですね。最近また長い文章を書くようになりました。それまでは音楽のほうに力を入れたかったので。

あっ、でもこれは小説と思って書いておりません。う~ん、「独り語り」というものでしょうか?そんな感じです。

またよろしくおねがいいたしますね~。(*^-^*)
祖父との思い出 (オザキシマコ)
2018-02-28 00:04:03
私も祖父とは散々口喧嘩しました。
年老いて子供帰りが始まった祖父と、童謡を一緒に唄った事を思い出しました。

お父様とご長男さんは、目に見えない深いところで他の家族にはわからない絆があったのですね。

じーんとしました。
Reオザキシマコさま. (からく)
2018-02-28 00:33:01
コメントありがとうございます。

父と私の息子は、どちらも長男で寡黙でそのくせ弱いところを突かれると、怒りながら雄弁になるといった性格でした。
そんな似た者どうしだからこそ、衝突したのかな?と思っています。そしてそんな二人だからこそ、喧嘩しながらも分かりあえたのかもしれません。
実は書きませんでしたが、息子は葬儀のあとどこかで泣いていたようです。カミさんが教えてくれました。

子供帰りが始まったお祖父さんと童謡を唄を・・・。
辛いこともあったかもしれませんが、それは良い思い出ですね。

読んでくださって、ありがとうございました。
Unknown (ケセランパサラン)
2018-02-28 01:44:27
胸がつまりました。

Re.ケセランパサランさま (からく)
2018-02-28 12:41:55
コメントありがとうございます。

コメントを書く前にケセランパサランさんのブログを読ませていただきました。

音楽の好みが似ている・・・。
ありがとうございます。
私もそれは、感じておりました。

ケセランパサランさんが紹介してくださる小説、好きです。
ケセランパサランさんの情熱が感じられる文章も好きです。

これからもよろしくお願いいたします。
また、私の事ブログで紹介いただきありがとうございました。

コメントを投稿

音楽」カテゴリの最新記事