のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

ナウイズム 二人展 間﨑学&北籔和 (9)

2017-04-17 | 展覧会

2017年4月15日の虹

二柄論をやっとの思いで書きあげて、ふと窓を見ると、外はいつの間にか春雨。

気分転換にベランダに出てびっくりしました。目の前に見事な虹がかかっているではありませんか。

ものごとはつい自分の都合の良いように解釈しがちですが、私としては、論理的にようやく東西の統合に折り合いをつけたその刹那の出来事ですので、それはまさに架け橋のように見えました。

よく見ると二重橋。

二柄先生の橋の上に、五次元橋がうっすらと見えている。二柄先先生からのプレゼントだと本気で思いました。

電線が残念ですが、今まで見たことがないような、見事な虹でした。

十数分で消えてしまいましたので、この時間に区切りが来なかったら見過ごしていたでしょう^ね^

 

 

一週間あまり、

私の敬愛する中村二柄先生の「東西美術史」を通り抜けてまいりました。

もちろんこの本は、西洋哲学と東洋思想をも紐解きながら構築された美術論であり、心に喰い込んで来る真実を解き明かした至宝だと私は思っております。

そんな論書に、私ごとき美術家が私見をさしはさむのは無謀かと思いましたが、晩年の数年間だけのお付き合いでした先生のお顔は、私の中で笑顔のままです。

 

喜んでおられるかは分かりませんが、笑って許してくれていることだけは確信出来るのです。

 

思えば、

着想から20年かけて書き上げた「のしてんてん系宇宙」

五次元宇宙の書ですが、

血気はやって、何人もの評論家に本書を紹介して、一読頂きたい旨の手紙を発送したことがあります。

その時、二柄先生おひとりだけ、興味を持っていただいて、読んでいただくことになりました。

一番最初の読者であり、そして唯一の理解者でもありました。

「矛盾はない」

先生がお住まいの京都に呼ばれて、初めてお会いしたとき、そう評していただいた言葉を今も忘れることが出来ません。

「このままではなかなか理解されないから、子供でも分かる童話を書きなさい」

そんなアドバイスのおかげで「スケール号の冒険」が生まれました。

 

そう言えば、先生に読んでもらっていなかったことに、今さらながら気付きました。

 

天国の先生に、今回の考察に「スケール号の冒険」を添えて、捧げたいと思います。

 

 

さて、今回の「東西美術史」の旅は、私にとりましては、かなり骨にこたえる労力となりました。

しかしそのおかげで、今まで全く見えなかったことが、見えてきたのです。

それはありがたいことですが、何より不思議なことでした。

 

なぜこんな無謀を思いついたのか、その経緯を思い出すことが出来ません。先が全く見えなかったのに、不安はありましたが、やめようと思ったことはありませんでした。

明日の記事は明日出て来る。なんとなくそう思って、創作の方に支障をきたすこともありませんでした。

何より、一日一日を書き終わって、「えっ、そうなの」と驚くばかりでした。

 

何より、私の提唱する五次元が、これほど見事に符合するなど思いもよらないことでした。

しかし、間違いなくそれは二柄先生の言葉に裏打ちされているのです。互いに知ることもなく、出来上がったそれどれの本が、こんなに重なっているという発見は、今、まさにこの時に起こったのです。

 

 

これらの絵は、二柄先生の理論に添わせようと描いた作品です。

こんな絵もありました。2009年の作品です。文字のような形は、即興で描いた筆の跡です。

西洋と東洋をどうすれば統合できるのか、それを形で理解しようとしていた時代だと、今になって思います。

 

そして今、結論として言えることは、

東西の統合とは、世界のことを言っているのではないということです。

東西世界の統合は結果として起こることであって、私たちが直に見て、感じているこの世界は当の私たち自身がつくり出している心の世界なのです。

 

つまり、ややこしい言い回しになりましたが、こういうことを言いたいのです。

東西の統合というのは、

私たち自身の、頭脳と感性の統合だと。

 

総じて、頭脳の働きは時間軸の中で行われます。

そして感性はスケール軸から生まれてくる。

そしてその統合とは、まさに五次元そのものだという訳です。

 

 

上の図は、時間とスケール軸の交わる原点(現在)を、人の中心(丹田)に持ってくると想定した図です。

スケール軸は、丹田を通って、無限に小さな世界に続いており、頭に向かって、極大の世界に広がっていく。

赤い渦巻はスケール軸の螺旋です。今この瞬間 心の風景 8 で紹介した五次元のイメージする風景と考えてください。

時間軸は、そのスケール軸に対応して、無限に存在しており、その感覚を正しく持つことが出来れば、私たちは簡単にカゲロウの時間や銀河の時間に生きることが出来るようになる。

心の中の東西の統合は、

このような心の広がりを実現させてくれるのです。

 

それはあたかも。

線の上だけを世界と思っている一次元の生きものが

もう一つの次元を得ることで、突然平面の上を自由に動ける生物になるような、

そんな進化と同等の意識を持つことが出来るようになる訳です。

 

スケールの概念を得ることで、時間とスケールの平面を自由に行き来できる生きものに進化する。

それが五次元の描く心の世界なのです。

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2 コメント

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雑談に来ました〜おめでとうございます~ (むっちゃん)
2017-04-17 12:20:54
どーも、マスター。
東西の統合、着地点到達、おめでとうございます。

えーと、思い付くままに書きますが、雑談、ですので聞き流してもらえましょう。
自分でもどっちへ向くのかわからないような気がしますので。

頭脳が感性を凌駕しようとあがくのは、そもそもは辛いから。嬉しい時は嬉しい理由、あれこれ詮索しませんし。
『辛い』というのは感性・感覚の問題ですが、理由がわからないままに辛いのは、辛い(笑)。
理不尽に叱られるのは納得出来ないけど、叱られた理由が納得出来れば辛くても受け入れられる、と言いましょうか?

なにせ私は基本死にたくないので(笑)、辛いから死のうとは思いません。でも『辛いまま辛い』で生きてゆくのは嫌……だったような気がします。
何故辛いのか、納得して、受け入れて、生きたかった……ような。
寂しさの戦場で朝日を愛でながら己れと戦う、ハードボイルド⁉な戦士の誕生、です(笑)。

無駄ではないでしょう、そのあがき。
でも……所詮感性の問題を、頭脳では解決出来ない。
何故辛いのかを突き詰めても救いはない。

そこまでわかっても、『辛いまま辛い』のはなかなか受け入れ難いですね、あくまでも私の感覚ですが。

それはあなたの心が作り出したフィクションだ。
辛くしているのはあなた自身だ。

それもわからなくはない。そう自覚すれば少し気が楽になり、呼吸も楽になる。

でも、己れを縛る己れからは、結局自由になれない。

自由になれた時、は、おそらく死んだ後。
絶対の向こうへ行った時。

そんな気がする私はまだまだ、東西の統合、を、本当に理解・体感するのは先かな?……と思いました。

わかる人にはそれこそ理屈抜きで、理解・体感できるのでしょうね。
うらやましい気もしますが、まあ私は私のペースで、ひとり人類補完(笑)をやっていくだけでしょう。

ふと思ったのですが。
要するに、頭脳と感性の統合とは、自分を正しくとらえて認める……愛することに通じる。
ひいては他人を正しくとらえて認める……愛することに通じる。

そんな気が致しました。大袈裟でしょうかねえ(苦笑)。
感性 (のしてんてん)
2017-04-18 14:56:00
感性をイメージするとき、

たとえば風景を見て美しいと感じる心を思い描いてみてください。

その時、頭でその美しい理屈を考えて美しいというのではありませんね。

美しいという感覚は、私から生まれていますが、私にはどうにもならない所から自然に浮かび上がってくるものです。

辛いというのも、それと同じことなのですが、それは感性を辛く感じさせる思考がどこかにあるということですね。

もちろん、
理由がわかれば辛さも耐えられるし、自分を救うことになるわけですが、その構図は、辛いという感性を思考で克服するというのではないのですね。



感性が出しているシグナルを受けて、思考は自省して己の思考の誤りを見つけ出すということです。

たとえば子供の学力不振で悩む場合は、その裏に学力こそすべてという思考がかくれている訳で、感性は辛さを与えてその誤りに気付かせようとしている訳ですね。

思考が変われば人生は180度変わる。
しかし感性は変えようがありません。なぜならそれこそ、自分自身の正体なのですから。



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