熊本の暗記王

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元号と西暦の併記がよい、NHKテレビ「歴史ヒストリア・観応の擾乱」を見て

2018-05-19 19:54:41 | 日記


5/16放送NHKテレビ「歴史ヒストリア・観応の擾乱」をビデオで見ました。話は簡潔で分かりやすく作ってありました。
でも時代の表示の仕方には驚きました。
観応は南北朝時代の北朝の元号で西暦(ユリウス暦)1350-1352年の頃です。観応という元号を含んだタイトルですから、時代の表示は元号が使われると思いましたが、期待外れでした。これまでNHKの歴史番組では元号と西暦は併記されるの普通でしたが、この番組では最初の室町幕府成立のところだけに建武3年という元号が使われただけであとは全てユリウス暦だけの表示でした。ついにNHKは元号不要論者になったかとちょっと心配です。
 


次の画面のように室町幕府成立の場面では、「1336(建武3)年11月室町幕府を開く」と字幕が出ました。1336年はユリウス暦で11月は日本暦(和暦)ですから、建武3(1336)年11月とした方がベターだと思います。


次、観応の擾乱のきっかけとなる南朝方の河内の国での挙兵の場面では元号は使わずユリウス暦だけの「1347年」でした。ここは正平2/貞和3(1347)年又は北朝の元号だけにして貞和3(1347)年として欲しい。日本の中世時代を西暦だけで表されると、和食をナイフとフォークで食べているような違和感を感じます。

 


尊氏の庶子、直冬は直義の養子となり直義を深く慕う。直冬は義父が師直によって隠居させられたことを聞いて、師直を討たんと鞆の浦で挙兵。観応の擾乱の引き金。
ここも「1349年」だけの表示。貞和5(1349)年として欲しい。


出家したはずの直義は直冬と共に師直を討つため、密かに禁断の手、大和の南朝に向かう。
ここでは「1350年10月26日」と表示されている。この表示は一見西暦っぽいですが、年はユリウス暦、月日は日本暦です。ここで観応という元号が出てきます。「観応元(1350)年10月26日」とすべきでしょう。

 
師直の軍は直義の軍と芦屋打出浜で決戦、師直深手を負う。
「1351年2月17日」と表示。「観応2(1351)年2月17日」がベター。
和睦後、師直一族は京都に向かう途中殺される。


直義は政権に復帰するが、南朝との交渉決裂。
「1351年5月15日」と表示。「観応2(1351)年5月15日」がベター。


直義の求心力は弱まり、身の危険を感じてか腹心のいる北陸へ向かい、兵を集め、尊氏と対決するようになる。


尊氏と直義の全面対決の中、二人で直接話す機会を得た。
「1351年10月2日」とのこと。「観応2(1351)年10月2日」がベター。


和睦は成らず、直義は更に兵を集めるため鎌倉に向かう。


尊氏は直義と戦うために禁断の手、南朝と交渉成立。
「1351年11月3日」と表示。「観応2(1351)年11月3日」がベター。


尊氏は鎌倉に出陣、観応の擾乱が始まって2年、直義ついに降伏。
「1352年1月」と表示。「文和元(1352)年1月」又は「観応3(1352)年1月」がベター。


直義は鎌倉浄妙寺に幽閉され、病死(毒殺との説も)。
「1352年2月26日」と表示。「文和元(1352)年2月26日」又は「観応3(1352)年2月26日」がベター。



この番組は非常に面白いのでまだ見ていない人は是非視聴されることをお勧めします。


元号と西暦の暗記も見てみよう。


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