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(ボネ神父伝21) 第2部 回想への巡礼 療友のつづった思い出の記をたずねて

2017-06-23 05:06:46 | ボネ神父様
江藤きみえ『島々の宣教師 ボネ神父』、21

第2部 回想への巡礼 療友のつづった思い出の記をたずねて

◆1、お葬式

 1959年3月19日 - その日は、朝からどしゃぶりの雨がつづいていました。そして、ようやく新芽をふきだしたばかりのいちょうの上に、修道院の青い屋根のうえにまた、葬式に参加した人々のどうまみれの足のうえに、情ようしゃもなく、半ばやけ気味とさえ思えるほど激しく、その細い銀の足跡をたたきつけていました。

 お葬式は10時からという知らせであったが、すでに早朝からおびただしい人々がおしよせ、幼稚園の運動場も修院の庭も、集まった人々のむれでひしめき合っていました。

 また、薄みどりの燃えるような雑草につつまれて幾台かの大型バスも道路にならび、黒ピカの新型自家用車も雨のなかに数台のり捨てられていました。

 通りかかった大型トラックが、この混雑ぶりにへいこうして、"いったい、これはどうしたことだろう!とそこに立っていた百姓のおかみさんに尋ねました。

「はあ!ボネ神父さんちゅうて、凡らい神父さんがきのうなくなられたでな、きょうは、その葬式ですたい。太刀洗や、飯塚、長崎、それにわざわざ奄美大島あたりからまでござらっしゃってのう!神父さんの前おらっしゃった数会の信者さんげな、ほんにえらい人出ですたい、こげん葬式みたことなかばい」。

 そうです、この日こそ56年まえ、大島で大活躍をしたかつての青年司祭ボネ神父さまのお葬式だったのです。1905年から1923年まで約18年間もの青春をささげて奉仕したかの地に涙とともに別れを告げねばならなかったかれは、あれからどのような生涯をたどったのでしょうか? 今しばらくこの問題はそのままにしておいて、まずこのにぎやかなお葬式の行列について行ってみましょう。

 雨は、さっきから少しも衰えてはいませんが、わたしたちのたたずむ間も、参加者はひっきりなしに集まってきます。まもなくご遺骸は、安置されてあった幼稚園から、長い行列をつくって、聖堂へ運ばれてゆきました。横を歩いていたひとりの信者が、わたしのそでをひいてささやきます。

「ちょっとごらんなさい、枢の前方をになってゆく右がわの人ね、大島で神父さまの伝道士をしていたかたですって・・・」。

 まさしくそれは、かつてのK青年です。今では孫までできている、れっきとしたおじいさんですが、神父さま危篤の電報で、とるものもとりあえず、かけつけて来たということです。



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