しかしながら、この霊的復興の仕事に関しては、なすべきことがたくさん残っていることを、率直に認めなければならない。カトリック教国においてさえ、いわば名ばかりのカトリックにすぎない者があまりにも多い。かれらのうち、あまりにも多くの人は、信ずるのを誇りにしている宗教のもっとも本質的な務めは多少忠実に果たしているが、宗教的知識を完成し、もっと内的な確信、もっと深い確信を獲得しようと心がけてはいない。まして、外見と、神の御目のもとにそのすべての義務を理解して実行するまっすぐで純潔な良心の内的美しさとを、一致させるように生活するよう努力することがない。このような表面だけの宗教、中身のない見せかけだけの宗教は、神にてまします救い主が、この上もなく嫌いたもうところである。なぜなら、救い主は、すべての人が、「霊と真実によって」(ヨハネ4:23)御父を礼拝することを欲したもうからである。その奉ずる信仰を真実に、まじめに実践しない者は、今日吹きまくっている迫害の嵐とはげしい暴風雨とに、永く堪えることができないにちがいない。このような人は、世界をおびやかすあらたな大洪水によって、悲惨にも押しながされ自己の亡びを招くとともに、キリスト者の名を嘲笑の的となすにちがいないのである。
教皇ピオ11世「救治と手段」『ディヴィニ・レデンプトリス』1937年3月19日 (岳野慶作訳、中央出版社、1959年、pp.99-100)
教皇ピオ11世「救治と手段」『ディヴィニ・レデンプトリス』1937年3月19日 (岳野慶作訳、中央出版社、1959年、pp.99-100)