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勉強も徳のうち  聖イグナチオ・ロヨラ

2017-03-16 03:46:33 | 格言・みことば
 ところで、あなたがたは勉強にいそしんでいるいま、隣人に役立っていないと思ってはなりません。なぜならー「あなたは自分の魂をいたわり、神を喜ばせなさい」とあるようにー正しい愛の求めるままに、自分自身の進歩に役立つことをしながら、さらに神の誉れと栄光のために、いろいろな方法で隣人に奉仕しているからです。

 第一の方法は、現在の労苦と、それを余すところなく隣人へのよい影響のためにささげつくそうとする意向とによるものです。兵士が近づく実戦に備えて武器を整備し、演習するとき、この仕事が主君への奉仕にならないとは言えません。また、かりに隣人のために公に活動しはじめるまえに亡くなる人がいたとしても、その人が苦心して準備しながら隣人に奉仕したことがむだになるわけではありません。

 とはいえ、将来をめざしてするだけでなく、さらに、いま日々の労苦を隣人のために神にささげなければなりません。すでにいま、この奉献された労苦を神が受け入れてくださることによって、それは説教や告白を聞くことに劣らず、隣人を助ける立派な手段となっているにちがいありません。

〔8 徳を修めることーこれは使徒職の不可欠条件〕

 第二の方法は、あなたがた自身がきわめて徳の高い善良な人となることです。このようにしてこそ、あなたがたは隣人を自分と似た者にするのにふさわしくなれるでしょう。というのも、神は自然の生命の発生に守られる法則が、霊的な発生にもやはり守られるようにお望みになったからです。

 哲学も経験も教えていますが、人間でも他の動物でも、その発生には神の力という普遍的な原因に加えて、生み出されるものに自分のと同じ形を伝達できるためには、同一種属の直接の原因・行為者がなければなりません。

 それで、「天と人間とが人を生む」と言われています。これと同じく、神は、ある人に謙虚さ、忍耐、愛徳などを生み出そうと思われるときー説教師や聴罪師など、ご自分が道具として使われる直接の原因に、謙虚で、忍耐強く、愛徳にあふれていることを甲まれます。ですから、先に述べましたように、あなたがた自身があらゆる徳に進むよう励むことによって、隣人にきわめてよく奉仕しているわけです。なぜなら、あなたがたは学識をもってするのにまさるとも劣らず、有徳な生活によって隣人に恩恵をもたらすのに適した道具となるからです。ただし、有徳な生活も学識もともに、完全な道具となるために必要なことは、いうまでもありません。

聖イグナチオ・ロヨラ 「コインブラのイエズス会士への書簡」1547年5月7日


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