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「第32課 ユダ国の滅亡」『旧約のはなし』浦川和三郎司教

2018-03-29 02:03:46 | 新・旧約聖書まとめ
「第32課 ユダ国の滅亡」『旧約のはなし』浦川和三郎司教

138 ヨシュア王

 マナッセに継いでアモンが立ち、在位2年にして臣下に殺され、その子のヨジアが8歳にして位を継ぎました。ヨジアは、エゼキアに並ぶほどの賢い君で、ダヴィドの遺した道を正しく歩きました。熱心に偶像征伐をはじめ、国内の偶像は片っ端から打ち砕き、すすんでもとのイスラエル国へ入り、エロボアムがベテルに建てた金の仔牛の堂を壊し、偶像の司祭たちの骨までも掘り出して焼き捨てました。治世の31年目に、エジプト王ネカオが兵を率いて、メソポタミア方面へ出ようとしたとき、ヨジアはエスドレロンの平野に陣して路を遮りました。不幸にして戦利あらず、身も敵の矢に当たって死にました。


139 ユダ、ついに滅ぶ

 ヨジアの後には、その子ヨアカズ、ヨアキム、孫のエコニア、ヨアキムの弟のセデシア等が相次いで立ちました。しかし、彼らは揃いも揃って偶像の前にひざまずき、神様を振り棄てて顧みないのでした。時に、アッシリアはすでに滅び、新たにバビロン国がその南に興って、恐ろしい腕を八方に伸ばし、アッシリアの旧領地をことごとく手中に収めました。でも、ユダの諸王は、この勢いを察するだけの眼を持ちません。いたずらにエジプトの勢力を頼みにして、バビロンに抵抗を試みようとしました。よって、バビロンの王子ナブコドノソルは、紀元前606年、ユダに攻め入って、難なくエルサレムを陥れ、ヨアキム王を降しました。そして、王はそのままにしておきましたが、王族や上流社会の人々を多く捕虜そていバビロンに送りました。いわゆる、「70年の囚われ」は、このときにはじまったのであります。間もなく、ヨアキム王は反旗をひるがえして独立を謀りました。時にナブコドノソルは父の後を継いで、バビロン王の位についていたのですが、早速兵をくりだしてエルサレムを囲み、ヨアキムを殺して死骸は道端に投げ棄てました。次の王エコニアも、エジプトを頼りとしてバビロンに背きました。ナブコドノソルは、3たびエルサレムへ攻めのぼり、王をはじめエゼキエル預言者以下7000人の大家、豪族を捕えてバビロンへ移し、ただ、下層民だけを残し置き、セデシアを王として帰国しました。しかし、セデシアもやがて部下のエジプト党に引きずられてバビロンに背きました。ここにおいてナブコドノソルは自ら大軍に将としてエルサレムに押し寄せ、包囲3年の後、これを陥れ、セデシアを生け捕って目玉をえぐりぬき、縛ってバビロンに送りました。神殿をはじめ、王宮も民家も火を放って焼き払い、城壁は取り壊し、富裕な民はことごとくバビロンに移しました。時は、紀元前580年で、ユダは分裂このかた20代、387年で滅びました。


140 イザヤとエレミア

 これより先、ユダ国にも多くの預言者が遣わされました。その中でも特に有名なのは、イザヤとエレミヤです。イザヤは紀元前8世紀ごろの人で、彼がエゼキア王を助けて真の宗教を復興し、併せてアッシリア軍の侵入を防ぐがために、ひとかたならず働いたことは、既に申し上げたところであります。彼は、700年余りも前から、救い主が童貞女から生まれ給うことになっていること、神の御子であるとともに、ダヴィドの子孫でもあること、私たちを救うために苦しみを受け、無残な最期を遂げ給うことになっていることなどを預言しました。

 エレミアは、ヨジア王の13年から、エルサレム滅亡の後に至る、最も困難な時期に出て、あらゆる辛酸を嘗め尽くしたものであります。彼は、身をもって青銅の壁となり、滔々とした罪悪の流れをせき止めようと務めたのですが、国民は頑として彼の言うところに耳を傾けません。でも、エレミアは少しもくじけません。燃えるような愛国の熱情にかられて、相変わらず国民を戒め、エジプトを頼みにしてバビロンに背いては、国家の滅びを招くばかりだと叫んで、エジプト党の注意を促しました。このために彼らの怒りを買い、国賊の名を着せられ、深い泥だらけの井戸の中に繋がれ、死ぬよりも辛い目にあいました。エルサレムがいよいよ焼き払われるや、エレミアは、ナブコドノソルのために救い出され、バビロンへ行こうと、エルサレムに残ろうと自由に任されました。バビロンへ行けば、対した尊敬を受けられるのでしたけれども、彼は残された民と悩みを共にする覚悟で、エルサレムに踏みとどまり、神殿、王宮の灰になった後をとむらい、有名な「哀傷の歌」を作りました。その後、国民から、強制的にエジプトへ連れてゆかれ、そこで石殺しにされたという話であります。


141 教訓

 エルサレムといえば、ユダ国民の唯一の誇りでした。しかし、神様を忘れ、偶像を拝み、さまざまの悪事を働いた罰で、とうとうこの始末になったのであります。考えてみると、わたしたちの霊魂も、エルサレムにかたどられ、神様の愛する子どもとして、ひとかたならぬおめぐみを浴びせられています。だが、万一その神様を忘れ、浮世の栄華、快楽を偶像に祭り上げるようなことでもあると、終には神様に見棄てられ、恐ろしい天罰をこうむるよりほか、ありますまい。


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