今から又、出張に出まーす!

って、これがアップされる時はすでに機内かな?

又、又、イタリアからのメルマガがあまりに興味深かったので〜!


では、行って来まーす!


          
★★  11月13日の「悪夢」  ★★


11月13日(月)の夕方のことです。
近くのパレストラ(スポーツクラブ)に出かけました。
普段は週末に行くのですが、この週末は用事がいろいろあって時間がなかったこともあり
月曜の夕方に出かけました。

行ってみると、人が少ししかいません。
ジムにも、プールにも、スパやサウナにも特に男性の姿がチラホラしかみえません。

「ああ、そうだ、今日は大変な日だったのだ」と思いました。
この日の夜、8時半から、2018年のロシアでのサッカーW杯へのイタリアチーム出場を
決める「土壇場」の試合が行われるのでした。

夜8時15分位に、パレストラを終えて帰宅の途中のことです。
道を歩いている人があまりいないことに気づきました。
ふだんなら、チェーナに向かう人、あるいは家路を急ぐ人など結構人がいるのですが。

途中、何件かレストランやエノテカなどがあるのですが、中をのぞいても、
どこも、がらんとして誰も客がいないようです。
こんな時にも営業しなくてはならない飲食店に同情したくなりました。

きっと、誰もがこの試合をみるために、早めに帰宅し、夕食をすませて
テレビの前で試合の始まるのをかたずをのんで待っているそういう時間帯だったの
でしょう。
だから、町中がガランとしていたのです。

私は、サッカーのことはほとんど知らず、これだけ長年ミラノに
住みながらサン・シーロに一度もいったことのない類なのですが、それでも
この試合どうなるのかしらとやや気になり始めたので、テレビをつけました。

ミラノのサン・シーロでは7万5千人ものサッカーファンが詰めかけていると
報道していました。
対戦相手のスウェーデンからも1500名の応援がきているとのこと。

結局試合は0-0で終了しました。
そして、イタリアは来年のサッカーW杯の出場逃すという悲劇的な結果と
なったのです。

イタリアはW杯で4度の優勝を誇っていて、イタリアにとって予選敗退は、
1958年のスウェーデン大会以来、60年ぶりとのこと。

「奇跡」を祈るような気持ちで期待していた大半のイタリア人にとっては
癒すことのできない「悪夢」となったようです。

サッカ─試合放映の終わった後のその晩のTV生番組では、司会者も出演者も
白けた表情、がっかりとした溜息が聞こえてくるような雰囲気が伝わってきました。


ところで、このミラノの町がガランとするほど人がいなくなる状態、
私は35年前にも偶然にも初体験をしています。

1982年の7月11日のことです。
私にとって二度目のイタリア旅行でしたが、ミラノは始めてでミラノに3日間滞在し、
二日目の晩のことでした。

ちょっとしたきっかけで親しくなったミラネーゼの女性と夕方、一緒に軽い食事に
でかけたのですが、街は誰もいないだけでなく、飲食店の中もガランと人が
いませんでした。

事情を何も知らなかった私は、「なぜどこも人がいないの?」ときくと、
彼女は笑いながら「今日は、スペインで開催のワールドカップで優勝決定戦が行われていて、
ドイツとの試合に勝てば、イタリアがW杯優勝なのよ」と教えてくれました。
「だから、皆テレビをみているの。私の婚約者も仲間たちと一緒に集まって試合をみていて、
私にかまってくれないの」とのこと。

へえ、そんなに大変な試合が今行われているんだ、何も知らなかったと思っていると、
急に街中が大変な大騒ぎとなりました。
テレビで観戦していた人たちが大喜びで街に繰り出し、車はクラクションをならして
走り回っています。

1982年6月13日から1982年7月11日にかけて、スペインで開催された第12回目の
FIFAワールドカップで、この日、イタリアが優勝したのです!!
私も大変に劇的な瞬間に、出会わしたことになります。

その後大分たって、ミラノに住むようになってから、何年かに一回、ワールドカップや
オリンピックのサッカーの重要な試合の前、この「街がガランとして静かになる」
瞬間を体験してきました。

今回は、試合の後の静けさが、格別に身に沁みました。






ん、9月のフィレンツェでのイベント開催した時も、サッカーでイタリア人はまばらだったんです(@ ̄ρ ̄@)


こんな社会現象‼️