2016年08月25日

本当の人生

いつもありがとう。

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それでは、昨日の続き。

人は心の中で相手を罰したり、復讐したりすることもあります。

ありありといろんなシチュエーションを描きだし、胸がすくまで続きます。

人間のイマジネーションの豊富さは、こういう時にも発揮されますね。


そういうことを思い描いてはいけないわけではないけれど、そんな時間帯に一つだけ言えるのは、幸せな気持ちではないということ。

暗い喜びが満たされたとしても、あいかわらず心のモヤモヤが晴れることはありません。

しかも相手がその波動を受け取らなければ、モヤモヤしているのは自分だけ。



バカにされたから見返してやろうっていう思いも同じです。

自分が活躍している姿を想像して、相手に目にもの見せてやろうって

空想の中なら王様にもなれるけど、そんなことに時間を費やすのはあまりに虚しい。


人を見返すと言ったって、相手はそれほど人に対して関心があるわけではなく、そんなことより相手だって自分のことで精いっぱい。

あなたが自分に一番関心を持っているように、みんなも同じなのです。


あはは、人間稼業はドラマチックだね。


安らいで幸せな気持ちに包まれたら

それが一番の復讐かも。



すべては頭の中で起きていること。

そして目の前には、あいかわらず、ただ、いまがあるだけ。


目の前のこれだけが真実だと分かれば、実際には何も起きていないことが分かります。



人生とは記憶の中の物語ではなく、まさにいまのこれだけです。

これだけがリアリティ。

そしてこれからも永遠に、いまが表現されていきます。



いまの中に寛ぐことができたら、それがゴール。

そんなあなたで生きられたら、もう心を乱すようなことはありません。



本当の人生




頭の中の物語の世界を、有漏路(うろじ)と言います。

エネルギーが漏れている状態です。


いまに帰ってくることを、無漏路(むろじ)と言います。

エネルギーが満たされています。



有漏路より無漏路へ帰る

一休み

雨降らば降れ

風吹かば吹け


(一休禅師)


彼の名前の由来とも言われている一句です。


禅は、心しずかに、あるがままの命に落ち着く道(無漏路)です。



そして慈愛を持って、身の回りを、一隅を照らしていきましょう。


人の苦しみと、世界の苦しみの源を探り、癒し、幸福な社会の礎(いしずえ)となっていきましょう。


そんな生き方以上の幸せはありません。




これからも心を込めて書いていきます。

よかったら応援してくださいね。


本当の人生





・・・・・・・・・・・・



明日から3日間、禅サンガのオープンキャンパスにご招待します。

たくさんの動画がストックされていますが、この3日間に盛りだくさんの生配信もあります。


26日21時 阿部Web講演

27日13時 向禅師&阿部 対談Web講演

28日9時 日曜Web坐禅会

28日15時 Web瞑想会

28日21時 向禅師 臨済録Web講義 最終回


それぞれに何かの気づきを得てもらえると思います。

瞑想と坐禅の共通点と相違点も理解できることでしょう。

どちらも補い合っていて、現代人にとっては車の両輪であり、時間の短縮になります。


オープンサンガのアドレスは、明日ご案内します。



Posted by Toshiro Abe at 11:12│Comments(29)
この記事へのコメント
イライラしてるのは自分だけ!だったのかもしれない。
Posted by マラケシュ at 2016年08月25日 11:16
修行者たちよ、私は気づいて見ることによって
漏れの滅尽を断言するのであって、
気づかないで見ていないのではない。

修行者たちよ、そして何を気づいて見ることによって
漏れの滅尽があるのだろうか。

修行者たちよ、「これは苦しみである」と気づいて見ることによって漏れの滅尽がある。

修行者たちよ、「これは苦しみの生起である」と気づいて見ることによって漏れの滅尽がある。

修行者たちよ、「これは苦しみの滅尽である」と気づいて見ることによって漏れの滅尽がある。

修行者たちよ、「これは苦しみの滅尽に至る道である」と気づいて見ることによって漏れの滅尽がある。

修行者たちよ、だから

「これは苦しみである」と心を集中すべきである。

「これは苦しみの生起である」と心を集中すべきである。

「これは苦しみの滅尽である」と心を集中すべきである。

「これは苦しみの滅尽に至る道である」と心を集中すべきである。


~ 仏陀の言葉 ~
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2016年08月25日 11:23
しっかりと伝わってきました。

何度も目にしてきた「目の前でただ事が起きている」という表現。

へー、、そうなんだ…
どうやらそうらしいよ?

という感じで、辛いときに自分に言い聞かせてる感が強かったのですが、今日の文章を読んでて、この表現にいつもとは違うアプローチで近付くことができました。

何もないただの空間に、
部屋が現れ
机が現れ
椅子が現れ
人が現れ

目の前の人が、どんな生き方をしてきたのか
どんなスタンスで生きているのか
どのあたりを目指して生きていこうとしているのか

そういった情報が一切なくて、ただの人がそこで何か活動をしているという状況が現れました。

そこにいる人を知っている知らないに関係なく愛おしく思う気持ちや、自分自身の中に力があふれるのを感じ、それを是非人のために使いたいと思う気持ち。
エネルギーが漏れていないって、こういうことなのかなあ。

ただ事は起きている

この真実に今日やっと触れられた気がします。

ありがとう(^_^)
Posted by 今日はメアリー at 2016年08月25日 12:16
有漏路から無漏路に帰るのがストップ瞑想なんですね。
渦中のときは忘れがちですが、見返してやりたい、復讐してやりたいと思ったら意識してやってみます。
Posted by ジャム at 2016年08月25日 12:29
雲黒斎さんも、「おもらし」とか、「リバース」とか(笑)先日書いておられたような記憶が…。私は加速的に忙しくなってるので、日常のことをこなすので、精一杯です。ありがとうございました。
Posted by 林ゆみ子 at 2016年08月25日 13:04
阿部さん。こんにちは。そうなんですよね。みんなも同じなんですよね。

でも頭のほうがウルサクちょっかい出して。

あの~幸福な社会の礎になれるかは、なんか自信ありませんが、今後もおだやかに過ごして行きたいと思います。ではまた。失礼します。
Posted by 永井新吾 at 2016年08月25日 13:11
>人の苦しみと、世界の苦しみの源を探り、癒し、幸福な社会の礎(いしずえ)となっていきましょう。
>そんな生き方以上の幸せはありません

これ読んだだけで、既に幸せな気持ちになれました。気が早いなぁ、私(笑)。

こんなふうに生きて、一隅を照らしていけたら幸せ。今日も大切な指針を、ありがとうございます。
Posted by Ally at 2016年08月25日 13:12
そうですね、その通りですねー。見ろよ〜〜青い空〜〜、白い雲〜〜、そのうちなーーんとかなるだろーお〜〜〜〜!
Posted by マスター at 2016年08月25日 14:42
有漏路より 無漏路へ帰る とは、
主導を、全体へ お返しすること

ある意味、個人の自分は死ぬんだなと思うと なんか 笑えます。

でも 本当の部分は 逆に生きはじめるということ 。

その部分には 壁もない。 同じもの。不思議だ。

体が無くなるまでは、表面的には個人の自分も存在はするけど、
それは 神秘的パラドックス ☺︎
Posted by 薄茶色 at 2016年08月25日 15:49
いつもありがとうございます。

いつもなぜあなたは、被害者なの?

いつもなぜわたしは、被害者なの?

簡単だ、自分の人生の責任を負ってないからだ。

私がこれでいいと言ったらこれでいいのだ。

以上w
Posted by まっす~ at 2016年08月25日 16:24
今日もありがとうございます。
さっき有漏路になりかけていました。
自分の人生の責任を負いたいと思います。
ありがとうございました。
Posted by masako at 2016年08月25日 17:44
どうして被害者の立場を選んでしまうか。

自動的に相手が加害者になるので、自分の方がが良い、正しい、偉い、優れている。と一時的に自分を喜ばす事につながります。

でも、自分を被害者に設定してしまうと、
被害者でいるための選択をする必要が出て来ます。
特に加害者に対しては、被害者は不幸じゃないとつじつまが合わない。

何か事が起こる度に、被害者にふさわしい選択をしてしまう。
当然、幸せなこころ持ちとは縁遠くなります。

ゆっくり、確実に、負のスパイラルに、、、
そんな事が起こってしまいがちになるのかな?
Posted by 匿名係の相棒 at 2016年08月25日 17:44
幸せ宣言

「私は、

人生という

とても困難な

ゲームをプレイ出来てることを、

参加者全員になり変わって

全てに感謝して

全てを楽しむことを

宣言します。」

かみお いきる
Posted by 神生粋流 at 2016年08月25日 21:05
いつもありがとうございます。
 
今日も善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2016年08月25日 21:06
今日もありがとうございます\(^o^)/
Posted by じゅーじゅ。 at 2016年08月25日 21:09
有漏路はナチュラルじゃない


目覚め☆目覚め☆


それではおやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2016年08月25日 22:43
いい記事ですね。

> 相手に目にもの見せてやろうって

本当に耳が痛い話です。
コメントの投稿で、重々、自覚があります。

誤解や無理解からの指摘、あるいは、単なる表現に対する指摘
そんな風に感じられるコメントに対しては、つい、苛立って反論してしまう。

何故、自分の表現に執着するんだろう。

阿部さんのメッセージを否定的に捉える人が、何故、このブログに執着するんだろう。

私は、まだ、相手の自我にユーモアを見るなんて芸当はできない。
相手の低い波動にフォーカスしてしまう。

実のところ、正論ってのは、言葉のナイフ。。
ぐうの音も出ない正論だったとしても、そこに優しさはない。
もっと、相手とうまく議論したいのだが。

でも、僅かながら、感心させられる指摘もあるんですよね。。
(覚えてる限り、過去2度ほど)
Posted by rakuni... at 2016年08月25日 22:48
神生粋流さんの幸せ宣言、いいですね。

かみおさんに宜しく。。
Posted by rakuni... at 2016年08月25日 23:18
いつも更新ありがとうございます。
rakuniさんのコメントも凄くいいです。正直な気持ち、伝わります。
阿部さんの記事、リアルと幻想の違いスッと頭ではなく感覚として入ったような気がします。
ありがとうございます。
Posted by 尚 at 2016年08月25日 23:49
(´ゝ∀・`)
Posted by いっきゅ at 2016年08月26日 00:23
魔女の宅急便ーゆーみん 優しさに包まれたならきっと、目に映る全ての事がメッセージ 
Posted by 水 at 2016年08月26日 01:10
反論に反論するマインドは、
戦争を止めさせようと、戦争するようなもの。
どっちのエナジーも同じなのでしょう。
特に、目立つ存在を叩きたいのが人間のエゴなのでしようね。
有名になればなるほど、叩かれるのが、世の常。
このことは、阿部さんにも、多かれ少なかれ起きているようですし、
古くは、イエス・キリストも、当時の人々には全く理解されず、多くの反感を買いました。
それでも、父なる神を私たちに示すために、ご自分の全生涯をかけて下さいましたが、
イエスの教えは、当時にしてはあまりに革新的だったので、
人々の無理解と無知とエゴは、とうとう最後には彼を十字架につけてしまいました。
そのイエスも、ユダヤ教のパリサイ派の人々を偽善者と呼んで、公然と批判しました。
それで、彼らの恨みを買ったのです。

どの世でも、同じことが起きているのを感じています。
それでも、イエスの大きな深い愛は、無知で自分勝手な人々をも許しました。
愛だけが、エゴを打ち砕き、超越できる、という証なのでしょう。

見習いたいものです。
Posted by いち探求者 at 2016年08月26日 01:16
あー、どんな自分も受け入れなくちゃどんなにダメな私でも…
でも私は私が大嫌い大嫌い…もういやだこの悩み終わりにしたい…消えてなくなりたい

以下、私の中で起きたやりとり

誰か:ばーーかーーもーーのーーーッッ!!!!!!
私:え…?
誰か:お前は誰だ。
私:えーと…
誰か:お前は誰だ!
私:えーと、あれ?
誰か:お前は誰なんだと聞いている!
私:私は…誰なんでしょうか…

私など、
いまだかつて存在したことはなかった。
ここに、悩みはあるか?
私(仮):ありません…

わたしは、生まれたこともなく、死ぬこともない。はじまりもおわりもない。粛々と、輝かしい無意味を遂行しなさい。ハイッ
私(仮):はい

でもまた私(仮)に巻き込まれるんだよな…悩むふりが好きなんだな。
Posted by じゆ at 2016年08月26日 06:32
尚さん

ありがとうございます。
どっかに懺悔したい気持ちがあったのか、
はたまた、ただの露悪趣味なのか、
それとも他の企みがあるのか、
自分ではよくわかりませんが、
正直と評して頂いて光栄です。
Posted by rakuni... at 2016年08月26日 06:38
一休さんは、私のお父さんと、そっくりです(顔がね)✨
Posted by 宮城徹 at 2016年08月26日 07:20
寄り道 道草 回り道 それでもいつかたどり着く
Posted by 金漢 at 2016年08月26日 08:55
サークル仲間から的外れな逆ギレメールを受け取り
『相手の問題だから』とは思ってみても
スッキリしないでいたところで
阿部さんのブログを読んで良かったです。

モヤモヤが短時間で晴れました。

ありがとうございます(^^)

グループメールでの発信だったので、
『あ~ぁ自爆したね~』と思った私も許して
今を楽しみます♪

本当に良かったです(*^_^*)
Posted by ほら at 2016年08月26日 10:40
私はrakuniさんは正直で優しい人だと思います。
そんな感覚が意識の湖に浮かびました。
ここに集まる人は皆本質はブッダです。
あんたがブッダ
みんながブッダ
Posted by 尚 at 2016年08月26日 11:34
尚さん

再びありがとうございます。
尚さんのように人のなかに優しさを見る人は、
ご自身が優しいのでしょう。

見習いたいものです。
Posted by rakuni... at 2016年08月26日 21:02
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