悩める子育て

幼児から中学受験→難関校からの大学受験、その先を考える

附属中に行けばお得だったのにという考え

とあるブログで、表題のような内容を見ました。

附属中を蹴って、他に進んだせいで、その附属中の系列大学より低い偏差値の大学に行った、とか、一浪してしまった、とか、中学受験時代に自分よりできていたのに、進んだ大学(の偏差値)は自分より低いとか。だから附属に言っておけばよかったのにといいたいよう。

 

実際私の友達でもそういう子はいました。
その子は附属中高出身ですが、推薦される学部に不満があり、一般受験したところ歯がたたずに二浪して偏差値の低い大学に行きました。といってもそれなりに知名度のある大学ですが。

 

週刊誌でもよく話題になる「お得な」学校。

そこで語られるのはすべて偏差値で並べた大学の進学実績をベースとした考えですよね。高偏差値大学へたくさん入ることが良いという。

 

入学時低い偏差値だけど進学実績では高偏差値の大学に合格するからお得である。

入る時は大変なのに進学実績はそうよくないと、お得でない学校とされる。

 

確かに偏差値ベースで考えれば、附属校に入れば大学を一般受験するより楽でしょうし、受験勉強をしなくてもよいかもしれない。

ただ、それってどちらがいい悪いではなく大きく中高時代の過ごし方が変わることであり、お得かお得じゃないかだけで考えるのは違うと思うのです。

受験勉強をすることをマイナスだと一概には捉えられない。ある時期ある目標に向かって悪戦苦闘して、自分の限界とたたかう。人生でなかなかない機会で、得るものも大きいはずです。勉強に専念することについて、なにかと悪いことと捉えたがる人がいますが、スポーツや芸術でトップを狙うことと同じではないでしょうか?

 

一方で、附属校に入って、じっくりその中高六年を自分のやりたいことにチャレンジしてみたりすること、部活に専念するとか、長い付き合いの学友を得る、はたまた大学受験生が受験勉強で手が回らないような一歩先を行く勉強をしてみるなどということも価値のあることだと思います。

例えば中学受験をしない小学生がどんどん英語を先取りしたり、プログラミングの勉強をしてみたりするのと同じような感じで。

 

どちらがいいか、また、偏差値が高い大学がいいかどうかは自分が決めればよいことだと思います。

 

どちらに進んでも、やる気のある努力家は、どんどん学んで進んだ大学でも活躍できるでしょう。
怠けている附属校生は大学へ行ったとしても、一般入学者に大幅に差をつけられているでしょうし、そのまま漫然と過ごせばネームバリューだけでいい就職ができるとも思えません。

怠けている附属でない学校の生徒はそのまんま、大学受験に困難を抱えるでしょう。

 

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そして、学校というのはそれぞれ個性を持ったもの。そこに集まる生徒の雰囲気もバックグラウンドも異なります。人との出会いが人生を大きく左右することを考えれば、模試の結果算出された偏差値よりも、その学校が本人に合うかどうかの方が大事なのではないでしょうか。
どこへ行ってもそれなりに順応性があるという人も多いでしょうが、そうであれば、実際自分がどんな友達と付き合っていきたいか、で考えるのもいいのかもしれません。

 

ある人が、大学受験で自分とは違う裕福な家の子弟が集まる大学に入ってしまい、後々もその学友たちのセレブっぷりに嫉妬が止まらないというのを目にしたことがあります。それでいいかどうかも価値観の問題だと思いますが。
気にならない人は同じ環境でも気にならないでしょう。

 

中学受験して私学に進学すれば六年間+大学四年間、多大な学費を払って学校を選ぶのに、偏差値表で考えるとしたらそれこそもったいないと思うのです。

 

冒頭の私の二浪した友達ですが、附属の中高六年間は充実していたようですし、その時点で残念ながら希望の学部に行けなかったわけですが、自分がそこまでして学びたいと思うものが見つかったのも、もしかしたらその学校にいたおかげかもしれません。

 

私自身が大学に入ったもののその学歴を生かさずに就職したのでそう感じるのかもしれませんが、彼は彼なりに満足しているのではないかと思います。きっと二浪もなんらか糧になったはず。

まあ、その後に入った大学も私大でしたので、二浪分余計に面倒を見た親御さんはお気の毒なのですが。私だったら無理(汗

 

せっかく今はネットなどでも学校の情報は豊富に得られるし、学校側もオープンキャンパスなどをして、学校の生活を公開しています。

簡単にお得なんて片付けないで独自の取り組みをしているような高校や大学をバンバン紹介してほしい。

 

就活に有利ではあるでしょうが、一番大事なのはその人がどんな人で、どんなことをしてきたのか、これからどう働いてくれそうだと思われるかの方が大事だと思うのです。

もちろんあまりにも偏差値差があれば、そうでもないと思いますが。実際私の頃も大学の超難関と難関でも送られてくる資料に違いがあることを目の当たりにしましたので。

 

また、いわゆる一流企業に入れば必ず幸せなわけではないのも昨今の電通の件などを見てもいえるわけで、じゃあどういった企業に進めばいいかは、各々異なると思います。

単純に給料だけではない、その後の生き方を含めて考えてみないと、さらには実際に働いてみないとそこが自分にとってよい職場だったのかなんてわからないのではないでしょうか。

 

大人が安易に煽らないでほしい。
もしかしたら、大人自身が一流=善という考えにとらわれ過ぎているだけなのかもしれませんが。

 

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