大切なのは価値を生み出し貢献すること | 艶(あで)やかに派手やかに

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「女性」✕「発達障害」✕「アラサー」×「グローバル」の立場からダイバーシティ(多様性)について発信しています。

生きづらさを抱えた弱者が社会の壁を乗り越え、地位や権利や配慮を勝ち取ろうとする運動は色々とあります。なかでも代表的なのは、女性の地位向上や、障害者への理解啓発のための運動です。
私は二重の当事者です。その啓発デーが、2ヶ月連続しています。
3月8日は国際女性デーでした。
4月1日には世界自閉症啓発デーが控えています。
このような当事者運動にちょい乗っかりつつも、考えがあります。

上の世代の方々が女性の地位向上のための運動を展開してきたことが、今の社会を作ってくれていると思います。均等法ができて女性に門戸を開く企業が増えたのも運動のおかげといえます。女性特有の問題には配慮も必要です。
でも、今の時代に求められている形は、運動論だけではないと思うのです。
女性の生き方や働き方が多様化した今、「女性=一方的に抑圧される弱者」というイメージのなかだけで主張する人ばかりでいいのしょうか。
女性自身も変わる必要があると思います。
生きづらさを抱えた人なら、もっとお金や地位や権利や配慮が欲しいだとか、こんなにひどい扱いをされた、という話で盛り上がるのは、通る必要のある道でしょう。ただ、それで周りの人を幸せにできるでしょうか。
すでにある程度力を得た女性なら、運動論よりハンデや生きづらさを価値に変え貢献することが、時代の最先端だと思うのです
肩ひじ張って抗議しないことをもって、意識が低いとみるのは違うと思います。

似たことが、自閉症など発達障害の理解啓発運動にも言えると思います。 
発達障害の早期診断・早期介入が進み、社会的理解は着実に向上しています。発達障害の人を採用してみようか、という企業も増えてきました。
当事者が苦労してきた経験を語ることはもう珍しくなくなりました。それを見て、それまで沈黙してきたが、自分も何か発信したい、と思うようになった当事者はいるでしょう。いまはSNSやブログで簡単に発信できるようになりました。
ただ、発信の手段を得た瞬間、自分の言いたいことだけを声高に叫ぶ当事者がいます。
発達障害の当事者が、社会や企業や学校に対し非常に批判的な攻撃をする発信、健常者から言われたことを一つ一つ被害的に受け取っている発信、そしてそれらに対して「私も被害者だ」と言う発信を、たびたび見てきました。それは、繰り返しますが、生きづらさを抱えた人なら通る必要のある道でしょう。ただ、それで周りの人を幸せにできるでしょうか。
当事者の声を聞いた結果、関わらないという判断をする健常者がでてくることも実際にあります。
当事者が望むのは、そうではなく、主流派の味方が増える形の意見発信ですよね?
また、当事者活動に入れ込んで、仕事や学業や家庭がおろそかになるのでは本末転倒です。
これらは、私自身も気をつけなければと思うことです。

社会との葛藤で苦しみながらも、 社会を恨まず、社会を愛し、価値を生み出して貢献できる、強くしなやかな人になりませんか。
そういう人には、お金や地位や権利や配慮が回ってくるし、敬意をもって扱われるのではないでしょうか。そこに男女や障害の有無は関係ありません。

そのためには、自己理解と他者理解が必要です。
自己のリソース(資源)を知り、価値に変え、それを使って、それを必要とする他者に貢献すること。
その方法はここでは書ききれませんが、他の記事で色々書いています。