WK-Pでございます。<(_ _)>
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ヽ(●´∀`)人(´∀`●)ノ
「最後の晩餐」
それはあなたへ捧げるエピローグ。
wk:
僕が自我に騙されてたって?(;゚д゚)??
どういうこと?サッパリ分からぬ。
「思考」の消え去ったあとの静寂にこそ
悟りがあるんじゃないの?
それが「思考の罠」とでも言いたいの?
p:
その通りだよ。結論から言うと
思考が止まることなどないんだ。
思考の停止した先に悟りがあると
思ってしまうことが「思考の罠」なんだ。
このトリックに気づかないと、何度も
同じことを繰り返してしまうからね。
そうやって悟りに対して色んな妄想が
膨らんではそれを追いかけてしまうのさ。
wk:
な、なんとお!(゜ロ゜;)
僕は完全にそのトリックにハマってた…。
たしかに尻尾を追いかける仔犬のように
同じ所をぐるぐる回ってた気がする…。
p:
実は君という「自我」が存在するために
どうしても必要不可欠なものがあるんだ。
それが何だか分かるかい?
wk:
さぁ~?サッパリだね。(・_・;)
僕が僕であるために必要なものだろ?
う~ん。何だろなぁ~?(;・д・)
p:
それはズバリ「思考」なんだ。
wk:
・・・思考?( ̄。 ̄;)
p:
そう。人は思考することによって
「自我」を保っているんだ。
つまり「思考」が君自身だと言っても
過言ではないね。
これに対して
「瞑想」は思考自体を止めようとする行為。
それは即ち「自我の消失」を意味する。
それは自我にとっては死活問題なんだ。
あってはならない忌々しき事態さ。
だからこそ自我は自分とは別の何か、
つまり真我やワンネスと呼ばれる究極の存在
を必要としたんだ。
そういった悟りに憧れと期待を抱かせ
そこに希望を与え思考を続けさせることで
自我はずっと生き永らえようとしたんだよ。
その通り。
だからこそ君たちは、今も変わることなく
自我でいることができるのさ。
たから何も心配する必要はない。
今までも、これからも、ずっと
君たちはワンネスと共にあるんだよ。
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