WK-Pでございます。<(_ _)>
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ヽ(●´∀`)人(´∀`●)ノ

「最後の晩餐」
それはあなたへ捧げるエピローグ。

 
p:
青さん、もう少しペースダウンしない?
大切なことを伝えてくれてるんだろうけど
たぶん誰もついてきてないと思う…。(笑)
 
所有する主体、つまり自分自身の存在が
錯覚だと何故言えるのか?
そこのところを紐解いていかないと
言ってることはチンプンカンプンだよ。
 
そこで私に少し説明させて欲しいんだ。
また図を作ってみたからさ。
 
 
 
そうかい?
ではよろしくお願いするよ。
まぁ思考で捉えられない部分の話だから
理解し難いのは仕方ないことだけどね。
 
 
 
p:
まず私たちが自分をどの様に捉えてるかを
下の図にしてみたよ。
 
wk:
おぉ!前の現実認識を人型にしたんだね。
何か少し不格好ですけど…www。(o´∀`)b
 
 
p:
べ、別にいいだろ?(汗)
絵心がないのは分かってるさ。
伝えたいのはそこじゃないから。
 
私たちは皆誰もが
思考・感情を宿し、五感を備えた肉体を
所有する一人の人間だと思ってる。
そしてこの体までを自分だと認識してる。
 
別の角度から捉えるなら
目に見える部分を外側と呼び
目に見えない思考や感情の部分を
内側と呼ぶこともできるかもしれない。
 
wk:
うん( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン
まさにその通りだと思うよ。
恐らく誰もがそう認識してるじゃないの?
 
それなのに自分がいないだなんて
ちゃんちゃら可笑しいぜ!(*ゝω・*)ノ
 
 
p:
そうなんだ。
普通の感覚なら自分がいないだなんて
完全に逝っちゃってるとしか思えない。
 
ところが青さんが伝えようとしてるのは、
この世界は自分と自分以外といった風に
始めから分かれてなどいないということ。
すべてが繋がった一つであるということ。
 
他に上手い表現が見つからないんだけど
強いて言うなら、全部が自分ってことさ。
 
 
wk:
・・・・・・・全部が自分?
???((((;゜Д゜))))???
 
 
 
続く!

 

 

 


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