お久しぶりです。
ブログを更新するのは面倒で、なかなか書く気にならなかったのですが、これだけは書いておきたいと思い、書くことにしました。多分最後の更新になると思います。
なぜ最後になるかというと、自分がバレーを始める、好きになるきっかけとなった、アテネオリンピック世代の最後の選手だからです。



栗原選手が注目を浴びたのは、2002年の春高バレー決勝。今でも伝説の一戦と言われる試合です。

186cmの栗原選手率いる三田尻女子(現誠英)高校は、前年に続く二連覇のかかる大会です。その相手は、187cmの大山加奈さん率いる成徳学園(現下北沢成徳)高校で、その年の三冠がかかっていました。試合は2人の壮絶な打ち合いとなりましたが、荒木絵里香選手や、後に栗原選手とパイオニアでチームメイトとなる細川麻美さんらパワフルなスパイカーを揃えた成徳の3-1での勝利となりました。

しかしその活躍が評価され、2003年のワールドカップには大山加奈さんと共に出場し、メグカナフィーバーを起こしました。また、このワールドカップは、後に対角を組み、長年全日本のエースとして活躍した木村沙織さんのデビューした大会でもあります。

2003年の女子バレーブームの勢いのまま、日本は2004年のアテネオリンピックに2大会ぶりとなる出場を果たします。そこでは5位に終わるものの、栗原選手は世界と戦える高さを見せつけ、今後の全日本の希望の光のように思われました。

しかし栗原選手はここからしばらく代表から離れます。所属していたNECレッドロケッツからパイオニアレッドウィングスに移籍をするも、移籍同意書を貰えずに1年間リーグに出場できません。翌シーズンはパイオニアで優勝するも、怪我に泣き世界選手権には出場できませんでした。しかし2007年、ワールドカップで代表復帰を果たすと中心選手として北京オリンピックにも出場。エースとしてチームを引っ張ります。

2009年、同学年の荒木絵里香選手が全日本のキャプテンとなり、栗原選手も副キャプテンになります。2012年のロンドンオリンピック中心選手としての活躍も期待されましたが、2009年ワールドグランドチャンピオンズカップにて膝を負傷。しばらく代表から離れます。翌2010年の世界選手権では復帰を果たし、二枚替え要員としてチームの銅メダル獲得に貢献しました。

その後もロシアリーグへの移籍等、オリンピックに向けての用意は着々と進んでいるように見えましたが、度重なる怪我によりロンドンオリンピックへの出場は叶いませんでした。

その後は国内の岡山シーガルズ、日立リヴァーレ、JTマーヴェラスでプレーをした栗原選手。この頃の栗原選手は、代表の重圧から逃れ、純粋にバレーボールを楽しんでいるような、生き生きとした姿を見せてくれました。

最終戦となった、黒鷲旗の準決勝でも活躍を見せた栗原選手、本当にお疲れ様でした。



しばらく更新がなかったものの、今もこうして見てくださっている方に、本当感謝致します。どうもありがとうございます。ブログを更新していなかった間に、Twitterのアカウントも削除しました。
これで最後の更新となると思いますが、本当にありがとうございました。

これからもバレーボールは応援していきます。
栗原恵選手、現役としてプレーしてくれることが発表されましたね!
吉原監督のいるJTマーヴェラス。03年、代表デビューした時のキャプテンであり、パイオニア時代もチームメイトでした。

もしも現役続行なら、吉原監督のJTか、多治見監督で荒木選手のいるトヨタ車体かと思っていたので、JTで吉原監督とともに頑張って欲しいですね(^^)


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清水、膝前十字靱帯損傷で全治12カ月=バレー男子・パナソニック - Ameba News [アメーバニュース]
https://news.ameba.jp/entry/20180220-712/

清水邦広選手が、JT戦で怪我をしました。怪我をした試合はテレビ放送があったので、映像で見ましたが、とても辛い瞬間でした。

ずっと日本のトップで活躍してきた選手が、このような形でバレーボールから離れなくてはならなくなるのは寂しいことです。またコートに戻ってきてくれると信じています。

こんな状況でも、自分の状況をファンにもわかるようにTweetしてくれている清水選手は、本当にバレーボールが好きなんだなと思います。

焦らずゆっくり治してください。