●●のことはそれほど… | 波動的しあわせ生活ブログ

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みなさん、こんにちは。

 

今年は「フリン」ブームで、政治家や芸能人などの目立つ方々が人生をかけ自らをみせてくれています。

 

本日も朝の情報番組で斎●由貴さんのニュースが流れていましたが、これをニュースといっていいものかわかりませんが、TV局は視聴率をとれるとばかりにやんや、やんやと映像を流していました。

 

そういえば、ひところ前に「あなたのことは、それほど」という不倫ドラマがはやったようです。私自身はそのドラマを観てはいません。基本的に特にここ数年日本のドラマはほとんど観ていませんので、家の者が話題にしていたりするなかでの認識しかありませんが、人気があったようですね。

 

それで、いつもの妄想なのですが、

この不倫ブーム、ここでは不倫の是非を問うものではなく、その現象に興味が湧いたので書いております。

 

基本的にそういうことは、プライベートの範疇なので、人様のことをどうこういうのは、いかがかと思いつつ、メディアを使った社会的制裁的風潮に?と思ってしまいます。

 

基本的に他人事なので、私たちはそれに対して好き勝手いって「心の快(幻想的で一時的、多くの場合自分にとってネガティブ)」を求めますが、一方の当事者は、人生がそれらの反応(ネットなど)により左右される怖ろしい風潮の中で自分の人生を生きなければなりません。身から出た錆といえばそれまでですが、実は気になるところは、不倫の当事者ではなくて、それを「楽しんでいる」視聴者たる、私を含む一般のあり方です。

 

正直、私は、斎●さんの朝のニュースを観て、何も感じず、「ああ、そういうことがあったのね」ぐらいの反応でした。それこそ「不倫のことはそれほど」という感じで、別に興味がありません。

 

家の者は、TV画面に映る斎●さんの風貌を観て、「なんかすごく●●てみえる。(お年を召したように、という意味)彼女ってこんなだったっけ?」などと、会ってもいない、知らない人のことを心配したのか、そうでないのか、好き勝手なことをいっていました。別に楽しいんだから?それでいいじゃん、ということもあるでしょうが、無意識の反応とはいえ、否、無意識だからこそ、何か気持ち悪い部分が感じられました。

 

 

また、家の者は、「50歳にもなって、不倫できるなんてすごいね」ともいい、私は「ふーん、そのような感じ方もあるのね」と思い、脳内データに記録しました(それで今、それを書いています)。

 

結局、このような事柄に対して、他の方々は、一体何を求めているのかなと、素朴な疑問。

 

不倫は常識的に悪い、悪である。だからその行為者は罰せられなければならない。

 

自分にはできない、思い切ったこと、好き勝手ができてうらやましい。

 

たんに、暇つぶしに話題になってよい。

 

そんな感じかなと思いながら、先に書いた通り有名人は、半分仕事という感じがあるにせよ、自分が選んだ道であるにせよ、大変だと思いました。

 

不倫のニュースに目くじら立てて反応するのは、自分の中に何か共振するものがあるわけで、それは「ちゃんとしなければならない」「悪いことをしてはいけない」「外れてはいけない」「罪の意識」などの価値観があって、それらが過剰反応して態度に出てくる場合があると思います。その自分の反応は、実はこれらの常識的価値観が自分の中にあり、自分の本心よりも社会的なある意味強制的な価値観を無意識に強制してしまう「習慣」の結果、反応してしまう…。おそらく同時に自分の中に、ある意味「不倫因子、あこがれ、思い切り我儘に生きたい衝動」の「ような」要素があるとすれば、それは「やっかみ、嫉妬心」となり、やはり反応してしまうでしょう。

 

そういう因子がない人は、反応せず、ただ「そういうことが起こった」という事実のみを受け取ります。

 

つまりは、不倫のニュース(?)がエンターテイメント的に「視聴者に受ける」からこそ、これでもかと飽きるまで報道されるのは、ニーズがあるからです。これは不倫に限ったことではなく、「他人の不幸は蜜の味」という要素があるものなら、全て当てはまると思われます。

 

今の時代の流れを考えると、不倫当事者がそのことを露見してしまう流れになってしまうのは、無意識にそれを望んでいる部分があり、その波動にメディアや世の中のセンサーが反応し、共振を起こすからかもしれません。

 

心の闇を浄化することを、「誰もが」自分の顕在意識とは関係なく強いられる時代の流れの中で、こういうことが沢山出てくるのはもはや必然なのでしょう。自分ではそういうつもりも、そういうことは起こるはずなど考えもせず、いきなり「ドーン」と自分に向き合わなければならない状況に追い込まれる、そんな流れです。

 

そういう流れがあると、自分では気楽にやっていることが、自分の潜在意識をとおして、同じようなエネルギーを注ぐことになり、自分の意に反する程度が余計大きい現象となって、自分と向き合う出来事が起きるかもしれません。ある意味、そのような怖い時代になったようにも思われます。

 

ですから、結局何が言いたいのかというと、心身の浄化をはかること。自分の中の重い価値観を手放していくこと、本来の自分に気がついていくこと、などが、どんな立場の人であっても、地位の方であっても、もはや関係なく、人間存在の根本に働きかけるエネルギーがどんどん強くなっているようです。ですから浄化などを心がけ、本当の自分とは何かを捉えていく必要性が高まっています。

 

本当の自分(を求めること)に志向していれば、「他人様の不倫のことは、それほど」となるわけで、他の人の意見、社会的規範などにあまりにも無意識にがんじがらめになっている現代人は、自分でありながら、自分ならざるものにコントロールされがちです。一種のマインドコントロールの範疇だともいえるでしょう。それでも、今過渡期を迎え、利己主義でもなく、無関心でもなく、確固としたゆるぎない自分を求め気づいていき、純粋に自分を愛することが、他人を認め、調和の中で生きることができ、理想の現実を創造することにつながるのではと、朝、電車の中で斎●由貴さんの「卒業」が頭の中で流れながら思った次第です。妄想終わり。

 

そのような時代の中で、IHMでは様々なニーズに即した、浄化や気づきのツールをご紹介させていただいております。