年金財源問題、年金削減、これが選択した社会だ

 年金の財源があるのかとか、年金を削減するかどうかとかいう問題があるかもしれない。

 一定年齢になったら受け取る年金について考えよう。
この場合、受け取り年齢になる前に死んだ人は受け取れない。

 良い発想ではないにしろ、年金を支給する方は、それぞれの人が年金を支払う間は生きていて、いざ支給の時になったらさっさと死んだら金だけ集めて支払わなくてすむことになる。
 福島の原発が爆発したが、東北や関東など健康被害はどうなのであろうか。健康被害といっても寿命がどうかということだ。もし放射能のせいでさっさと死んだら年金を支給する方はさっさと支給しなくてよいことになるだろう。
 もしかすると、年金財源を計算する人なら、福島で爆発が起こり、仮に健康被害で多くの人が早く死んだら、年金財源問題は解決ってなるかもしれない。
 その他どんな原因であれ、死んだ人は金を受け取れない。(ここでは遺族がどうかという話はおいておく。)

 色々と健康を害する可能性があることが社会にはあるであろう。大丈夫なのだろうか。

 福島の原発に限らず他のことでも、この社会、人がいて人が選択した社会だ。選んだ社会なのだ。
 原発が爆発する可能性もあるが、原発をすることは選んだ社会だ。
 それを推進していた、協力していた人がいるわけだ。
 どんな社会を選ぶかだ。
 年金額がとかいってみても、死んだら年金は受け取れない。


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