“分かち合いの力” 文亨進様

2018年07月21日 06時03分45秒 | 天一国食口礼拝

http://ffwpuota.jp/S_SicSiryoHyunJin.html

(大田家庭教会さん、亨進様のみ言の翻訳ありがとうございます)


 天一国食口礼拝 2008年9月21日 文亨進様

  “分かち合いの力”

分かち合いと祝福の人生

誰でも、自分だけの才能と情熱、希望、夢などを持っています。問題は、それらがただ自分だけのためのものだと考え、共に分かち合うことができないということです。分かち合う人生を生きてください。分かち合う人生を生きる時、私たちは天からより多くの祝福を受けることができます。なぜなら神様こそ、ご自身が持たれているものを惜しみなく与え、分かち合う方だからです。神様が人間と被造万物を創造されたということは、ご自身の創造力と生命力を分かち合ってくださったということを意味するのです。

お互いの人生を分かち合い、お互いのために投入し、共に時間を過ごすことによって、私たちが所属している共同体はより健全になるし、構成員一人一人はより多くの恵沢を受けることができるでしょう。分かち合う人生とは結局、お互いを祝福する人生なのです。

 

分かち合いの意味

 

ある方たちは、“持っているものもないのに、どうやって分けることができるのですか?”と尋ねます。しかし、分かち合うということは、物質的なものだけを意味しているのではありません。例えば、明るい笑顔を見せてあげること、励ましの気持ちを込めて抱きしめてあげること、他の人のために祈祷することなどを通し、心情と気持ちを分かち合うことができます。

また違う方たちは、“分かち合う人生を生きても何も得られないとしたら、何の意味があるだろうか?”と反問します。食口の皆さん!分かち合うだけでも、皆さんが得られるものがあります。それは、正に人格的な成熟、高潔さ、そして憐憫の情などです。人生を生きながら、このような性稟を得ることができるならば、神様により近づいていくことができます。神様に似るようになるのです。

“私の人生だけでも忙しいのに、どうやって他の人に配慮しながら生きることができるのですか?”と言われる方たちもいます。しかし、忙しい生活をしているからこそ、私たちはより分かち合い、お互いに配慮する生活をしなければなりません。一緒にいる人たちが成長すれば、皆さんの重荷はより減ることになるのです。

 

分かち合う人生の始まり

 

ところで、私たちはどんなことから分かち合う人生を実践することができるでしょうか?簡単で、負担にならないことから始めることができます。例えば、成和児童の教会学校で奉仕活動をしたり、食口たちにメールで安否を尋ねたりすることです。ホームグループのリーダーになって、食口を愛し、世話することもできます。皆さんが持っている才能を利用して、奉仕のプロジェクトを推進することもできます。誰かのために祈祷してあげることもできます。もし病院に誰かが入院したならば、その方のために手紙を書くことも、分かち合いを実践する生活になります。

私は本部教会で、分かち合いを実践する役事を発見しています。多くの二世たちが教会の共同体のための奉仕活動に登録しています。また、多くの食口たちが教会の成長のためにホームグループ指導者として登録しています。日本の婦人食口の方たちは、毎週いつも教会を献身的に掃除してくれています。毎週生け花を準備してくれる食口もいます。成和児童の教会学校教師として奉仕する食口もいます。聖歌隊Two Rivers Choirも練習を積みながら、礼拝の時間に賛美の奉仕をしています。教会の共同体のために、喜びの心で献身的に活動される全ての方たちに大きな拍手を送ってください。この方たちによって、本部教会はより美しく成長するでしょう。

 

 分かち合いと成功

 

成功したある社の最高経営責任者(CEO)が、“分かち合う生活が、正に成功の秘密である”と語っていました。私がその理由について尋ねると、彼は経済学を勉強する時に最初に学ぶ、‘比較優位の法則’を通して、これを説明してくれました。‘比較優位の法則’とは、ある製品を生産する際に他の国とパートナーシップを結び、その国が持っている力量に従って専門化された分野を担当し、貿易をする国の方が、自国の中で製品の生産過程の全てを解決しようとする国よりも、ずっと強い競争力を持つということを意味します。

簡単な例を挙げて説明すれば、韓国のサムソンは携帯電話をデザインし、中国の工場で安い価格で大量生産します。二つの国がこのようにパートナーシップを結んで製品を生産すれば、相互により大きな利益を生み出すことができるということです。

彼の言葉によれば、失敗する人たちは、普通“自分が持っている能力や才能を分かち合えば、私の分け前は減ってしまうだろう。他の人たちが成長してより優秀になってしまい、私は結局、競争に勝つことができなくなるだろう。なのに、なぜ私が自分のものを分かち合わなければならないのだ”と考えるといいます。

しかし成功した人たちは、“私が持っている能力と才能を分かち合えば、他の人たちも私が成長し、成功することができるように助けてくれるだろう。私のものを分かち合えば、他の人はもっと成長するだろうけれど、私もそのプロセスの中で新しい悟りを得て、最初の頃よりも成長しているだろう。お互いに分かち合って協力すれば、一緒にもっと大きなことを成し遂げることできるだろう。私は分かち合うことを躊躇しない!”と考えるといいます。

 

ハゼとエビ

 

また、真のお父様は、『天聖経』の中で‘自然は第一の聖書だ’と語られました。何日か前、私はTVで「動物の世界」という番組を見ました。それは、ハゼとエビの共生についての内容でした。ハゼはエビと一緒に家を共有します。

ハゼは視力がとても良いといいます。反面、エビはほとんど前を見ることができません。エビはいつも、ハゼを長いアンテナのようなもので触っています。サメのような危険な存在が近づいてくれば、ハゼは家に逃げて行きます。この時、エビも一緒に家に入るのです。エビは家を一緒に使って危険を避けさせてもらう代わりに、家をきれいに掃除してあげます。

エビとハゼは、このようにお互いを助けながら、自然の世界で生きていくのです。お互いが持っている弱点を補完してくれるのです。一緒にいることで、お互いに恵沢を得ることができるのです。これと同じです。分かち合う人生を生きる時、私たちが持っている短所は補完されるでしょうし、長所は倍になるでしょう。

本部教会の共同体と分かち合いの実践

本部教会が成長し、より大きな教会になるということは、それだけ分かち合う機会が増えるということです。実際に、本部教会でお互いに分かち合いを実践している姿を目にします。

青年部では、多様なアカデミーを準備中です。アカデミーを通し、青年食口たちは彼らが持っている専門的な力量を、教会の共同体のために分かち合うことになるでしょう。例えば、青年部の会長は弁護士です。資産管理についての専門家です。彼を通して、財テクについての良い情報を得ることができます。また、青年食口の中には家庭局に勤務している方がいます。彼を通して、私たちは祝福と夫婦生活、子女教育について、良い情報を得ることができます。また、調理学科を専攻している学生もいます。その人は料理アカデミーを運営することもできるでしょう。このように、教会の共同体の中で、私たち皆の生活を豊かにすることができる、分かち合いのプロジェクトを準備中なのです。

また、本部教会の2世の子供たちも、たくさん集まってきています。経済力を持ったある食口が、本部教会の成和児童と成和学生の教育のために、特別寄付金を出してくださいました。教会は寄付金を透明に運用しています。2世の信仰教育のためのカリキュラムを作り、室内図書館と遊び場を作りました。

既に言及したように、多くの食口たちが教会の共同体のための奉仕活動をしています。天の摂理と教会の共同体のために、十一条を始めとした献金をしています。持続的に分かち合いの生活を実践する時、私たちはより多くの善なる結実を得るでしょう。教会は成長し、神様と真の父母様を賛美し、統一教会人としての自負心と誇りを持って、生きていくことができるでしょう。

 

取税人ザアカイの救い

 

ルカによる福音書19章を見れば、取税人ザアカイが救いを受けた話が出てきます。ザアカイは取税人でした。取税人とは、税金を徴収する役人をいいます。イエス様がエリコ城を通り過ぎる時、ザアカイがその知らせを聞いて、イエス様に会いたいと思います。しかし彼は背が低かったため、人々の間からイエス様を見ることができず、いちじく桑の木に登りました。

この時、イエス様は道を歩かれながらザアカイを見て、“ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから”と語られました。周りにいた人たちはザアカイの家に向かうイエス様を見ながら、“彼は罪人の家にはいって客となった”とつぶやきました。

ザアカイはイエスが家に来ることに感動し、“主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します”と言いました。正にその時、イエス様はザアカイに、“きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである”と語られたのです。

この話を通して、私たちは重要な教訓を一つ、学ぶことができます。ザアカイは取税人として、血も涙もなく法を執行し、自分のために富を築きました。しかしイエスに出会ったザアカイは、過去の人生を悔い改め、分かち合いを実践したのです。イエスはそのようなザアカイに、救いの手を差し伸べられました。分かち合いを実践することは、このような救いと祝福の人生に、私たちを導いてくれるのです。

 

分かち合うことが、得られるものを決定する

 

皆さん!皆さんが認識してようといまいと、皆さんはいつも何かを分かち合い、生きています。ここで皆さんが覚えていなければならないことは、私たちが分かち合うものが、その後に得られるものを決定するということです。もし皆さんが否定的な考えをして、他の人たちを非難し、嫉妬するならば、皆さんたちも同じようなものを得ることになるでしょう。皆さん自身が非難を受けるでしょう。しかし、もし喜びと笑顔を分かち合うならば、また喜びと笑顔を受けることになるでしょう。

このような原則を覚えていれば、私たちがどのような心の姿勢で生きなければならないかを知ることができます。恩恵を受けたければ、まず恩恵を分け与えなければなりません。許しを受けたければ、まず許してあげなければなりません。健康でありたければ、病気の人々が健康になることができるよう、助けてあげなければなりません。

 

癌に打ち勝った勧士食口

 

私は、とても奇跡的な話を聞きました。ある勧士食口の方が、しきりにお腹が痛んだので、病院に行って精密診断をしました。医者はその食口に、癌にかかっているということを伝えました。普通の人であれば衝撃を受けて絶望しますが、その食口は、癌診断を受けた日に癌センターに行って、奉仕者登録をしたというのです。その言葉を聞いて私が驚き、“どうしてそのようなことを考えたのですか?”と尋ねました。その食口は、“癌診断を受けて絶望し、家や病室で寝そべってばかりいれば、本当に生きる希望がなくなります。生きなければならない理由がなくなるのです。しかし、何日でも、何ヶ月でも、生きている間は病気で苦痛を受けている人たちを助けるならば、私が生きている意味を探すことができるからです”と答えました。

その食口は癌センターで奉仕活動をしながら、癌にかかった人々に、“あきらめないでください。私もあなたのように、癌患者です。あきらめずに希望を持って生きるならば、癌を克服することができるでしょう”と励ましてあげました。健康な気持ちを分かち合われたのです。すると、神様が役事してくださいました。その食口は癌から完全に回復していたのです。

 

分かち合いの人生を実践された真の父母様

 

1980年代以降、真の父母様は宗教の壁を越えて、世界の宗教人たちを一緒に集め、お互いの信仰を尊重しながら、一緒に祈祷することができる場を準備されました。そして、これまで30年間、宗教間の対話と協力のための集会を多く主管されました。そしてその全ての費用は、教会が負担しました。

多くの人たちが、真のお父様に“なぜ私たちの全てのものを、他の宗教人のために分け与えなければならないのですか?そのように惜しみなく与えてしまえば、私たちの教会はどうなるのですか?”と尋ねました。

真のお父様は神様の御旨を成すためには、宗教人たちを一つに結ばなければならないと確信されていました。統一教会が犠牲になろうと、統一教会のために投資することができない恨があろうと、天の御旨のために世界の宗教人たちを抱き、一つにするために努力されました。

統一教会と同じ時期に誕生した新興宗教である大巡真理会、天道教、圓佛敎などは、主流の宗団との関係に力を入れませんでした。大きな宗団から迫害を受ける立場にあったため、ただ自分たちの共同体を保護し、布教する活動にのみ集中しました。これらの宗教は、彼らの基盤を一つずつ積み重ね、成長していきました。しかし、彼らの宗教基盤は韓国に限定されています。彼らは世界的な宗教とのネットワークを作ることができませんでした。

真のお父様は、神様の理想を実現するために、超宗教活動のみならず、世界平和のための統一運動を展開されました。教会的な資源を人類のために分け与え、投入されました。そして神様が真のお父様と統一教会の犠牲的な歩みを祝福されたのです。統一運動は、政治、経済、宗教、文化、教育など、全分野において世界的な基盤を築くことができたのです。

蕩減時代、世界のために投資し、捧げたものが実を結び、解放釈放時代を迎えました。統一教会は世界的な基盤の上で、これから教会成長のために投資をすることになるでしょう。神様の祝福の中で、教会の共同体はより強固になり、韓国を越えて世界の宗教共同体を一つに結びつけることができるでしょう。

 

今日の教訓

 

分かち合いの人生を生きることによって、私たちは神様の性稟に似ることができます。神様は創造を通し、分かち合いを実践されました。神様の本性は、分かち合いの人生と連結されています。

私たちは認識しているかいないかに関わらず、何かを分かち合いながら生きています。“皆さんは今、何を分かち合って生きていますか?”私たちは分かち合うものを、また受けることになるでしょう。否定的な内容を分かち合っていれば、否定的な影響を受けるでしょうし、肯定的なものを分かち合っていれば、肯定的な影響を受けることができるでしょう。いつも皆さんの中に愛と生命、許しと慈悲、夢と希望が溢れるようにしてください。それらを分かち合えば皆さんは祝福の人生を生きることができるでしょう。

‘比較優位の法則’を覚えていてください。分かち合うことによって、私たちはより多くの恵沢を得ることができるのです。分かち合いの人生を生きる時、私たちは神様により近づくことができます。ザアカイが過ぎし日を悔い改め、分かち合いを実践すると言った時、イエス様は“きょう、救がこの家にきた”と語られました。

覚えていてください。真の父母様は蕩減時代において、世界のために多くのものを分け与えられたため、統一教会は世界的な基盤を築くことができました。解放釈放時代、このような世界的なネットワークは、統一教会が一段階、より成長することができる基盤になりました。統一教会の共同体は、より大きく成長するでしょうし、神様と真の父母様に、より大きな栄光と賛美を捧げるでしょう。

分かち合いを実践する時、食口の皆さんがより多くの勝利、より多くの悟り、より多くの平和を得るだろうと確信いたします。お互いに愛し合い、祝福を周りに伝えることができる食口の皆さんになってくださるよう、お願いします。このメッセージを受け取ってくださるならば、真の父母様に大きな拍手を捧げてください。

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