前頭側頭型認知症をご存知ですか?
私の父はピック病と呼ばれる認知症でした。
物忘れはひどいわけではなく、行動がどんどんおかしくなっていく認知症だったため家族は本当に苦労しました。
私たち家族の認知症介護の体験談はこちらです。
前頭側頭型認知症?初めてのことばかりで迷う介護
父は、前頭葉側頭型認知症(ピック病)で2016年に65歳で亡くなりました。
うちは父、母、私(既婚)、妹(既婚)の4人家族です。認知症が発覚したのは、父55歳の頃です。
字が書けなくなり、同じことを何度も言う。
同じもの買う。
できないことが増えた。
本人の様子がおかしいと気が付き、病院を受診したところ前頭葉側頭型認知症のピック病という病気が発覚しました。
年齢の若さからか、いろいろと検査したりして原因を調べさせてほしいと話されました。しかし母が検査方法や調べ方などを聞いた後、あまりにも実験台みたいなことを話されたことから断わりました。
年齢が若かったため違う病院にも受診しましたが、診断結果は同じでした。
ここからが、家族で父の介護が始まりました。
アルツハイマー型認知症とは違って、忘れることは少なく、数字も読めるため日にちや時間もしっかり把握しており、道がわからなくなるなどのことも当初はありませんでした。
性格変化、行動変化から症状が進行していくピック病は気が付きにくいそうです。
診断後はどうやって介護したらいいのか、何から始めていけばいいのかわからないことから始まりました。
色々調べて介護認定を受けたり、デイサービス利用方法などを相談、申請したり、やることすべてが知識のないことばかりで大変でした。
そして何度も何度も市役所や支所へと通ったことを覚えています。
父は24時間対応小規模多機能型宅介護の施設を利用しながら自宅で介護を続けることになりました。
壮絶な介護!前頭側頭型認知症は家族の負担が大きい?
父はデーサービスなど当初は嫌がっていました。
嫌がる姿を可哀想だと思い、当初は戸惑いもありました。
しかししばらく続けていくことでだんだんと慣れだし本人も喜んでいくようになりました。
この時点でまず一歩前進でした。
ただ私達もそれぞれ嫁いでおり、なかなか自宅での介護に対応できませんでした。
母も仕事をしていたため夕方はどうしても一人にしてしまうこともありました。
最初の頃はデイサービスからの帰宅時間が早い日には、母が帰宅するまで紙とハサミを用意しておけばずっと切って待つことができていました。
しかし亡くなる2年くらい前からは母が帰宅する前に私たちが父の様子を見に行くと玄関が開いたままだったり、外に出た形跡がありました。
困った事にどうやら家にいない母を探しに外へ出回りだすようになっていたのです。
まだこの頃は病院に入れるという考えがなく、なんとか自宅で介護しないといけないと考えて色々と考えました。
そして次にとった家族の手段は、外から鍵をかけることでした。
外から鍵をかけるということは、監禁に当たるということでデイサービスの方へは家族の承諾が必要でした。
そしてさらに日が経つにつれて、父はとんでもない行動が始まりました。
何もかも、口に入れるようになる異食症がではじめたのです。
石を食べたり、紙を食べたり。
一番ひどかったのはキッチンに置いてあるサラダ油をボトルごと飲んでしまったことです。
サラダ油を飲んだ時にはしゃっくりが止まらず、げっぷを何度もし、タールのように真っ黒な便が立った状態で出てくるのでした。
さすがに救急車をよび、通院している病院へ行きましたが、命に別状もありませんでした。しばらくタールのような便が続きましたが、元の生活が送れるようになりました。
この一件からはすべて置いてあるものを引き出しに入れ、棚に片付け、見えない場所へ隠すようにしました。
そして、いよいよ深夜の徘徊が始まりました。
デイサービスから帰ってきてから夜寝ていると深夜に服を着替えだし徘徊。
母の眠れない日々が始まりました。
毎晩続く徘徊にだんだん母の体力も介護も限界に来ていました。
さすがにそろそろ預かってもらえる病院を探さないと考えていたところたまたまネットで調べるとピック病患者を預かっていただける病院が見つかったのです。
そしてこの時同時に、父の最後を迎える準備のように思いました。
病院に入院してからも、もう治療という治療もなく、ただただ介護して頂いている時間が過ぎるばかりでした。
顔を拭いてもらったり、食事をたべさせてもらったり、病院の作業書にその日あったことが記載されていました。
それからどんどん症状は進行しました。
普段の生活動作もできなくなり、唾を飲み込むことも難しくなり吸引してもらったりしていました。
でもしっかりと介護してもらえ話しかけてもらうことができたので家で母に介護されてるより幸せだったんじゃないかと思うほどでした。
しかし食事が食べれなくなるとあっという間に痩せていき、食事ができなくなりました。
そして2週間くらいで静かに一人息を引き取りました。
正直、亡くなってしまったことは本当に寂しかったです。
ただひどくなることはあっても治ることのない認知症。
壮絶な介護を思うと残された母のためには、家族としてはホッとしたのも事実です。
前頭側頭型認知症を体験してみて自宅だけでは介護は絶対できません。
もし同じような病気で悩んでいるなら早めに行政や病院、施設などに相談することをお勧めします。
決して家族だけの介護にはこだわらないようにしてください。