冷静に考えたら、なんで、おさらい会のご報告をしなければならないんですかね。

というか、聞かされたくないですよね。

 

「ご報告」ではなくて、「おさらい会の顛末」とかなんとかなのかな?

 

結局、具体的にどんなことが起こったか書いていないのだからねえ。

興味がわかないのが普通ですよね。

と、

昨日のブログの反省をしてっと。

 

さて、毎週月曜に回ってくる業者が、休日にもかかわらず、「来週は祝日ですが来ます」と言っていたと、先週応対した歯科衛生士が言っていたので、入蔵は毎週その業者がやってくる時間に診療所にいなければいけないと思い、待っていましたが、来ませんでした。

 

今日、入蔵は、東京国立近代美術館で開催中の「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」を観に行きたいと思っていました。「まだ来ない、まだ来ない」と思って待っているうちに、美術館に着いてもゆっくり観られないと思われる時間になってしまいました。

 

入蔵の記憶では、楽家では釉薬に関しては各代の吉左衛門さんは自分で工夫したものを使っており、子供にもその調合については教えないということであったはずなので、この展覧会でテーマにしている「一子相伝の中身」について興味があるのです。

 

まあ、入蔵の記憶が誤っていればつまらない話なのですが。

 

入蔵が小学生の時の図画工作の先生は東京芸術大学美術学部彫刻科の出身でした。

その先生の書いた油彩画を一枚所有していますが、絵画を専攻した画家の絵とは画面構成が少し違うような気がします。

 

当代の吉左衛門さんも東京芸術大学美術学部彫刻科の出身で、入蔵はやはり、代々の吉左衛門とは違った造形美をお茶碗の世界に持ち込んでいるような気がします。

 

でも、その造形美の底には楽家が長年に渡って継承してきた美学が横たわっているのだとも思います。

 

入蔵が興味があるのは、「当代が自分の個性と楽家の伝統をどう融合させているのか」と言うことです。

むしろ、「当代の個性の中に楽家の伝統がどのように入り込んできているのか」といったほうが正しいかもしれません。

 

具体的に言えば、当代が、「おちゃわん作り」を続けて来て、どこを目指して、何処に到達したのかをこの目で見たいということです。

 

ただ、展覧会の中身について入蔵は何も知らないので、このブログを書いている今は、この展覧会で、入蔵の望みが叶うか否かはわかりません。

 

だから、入蔵は、いつものように閉館までに余裕のない時間でなく、この間の出光美術館のように十分な時間をとって観たいと思うのです。

 

この間の出光美術館の展示は素晴らしかったと入蔵は書きましたが、不満がないわけではありません。

 

それは、154cmしかない入蔵の身長では、茶碗の見込みが観られなかったことです。

底については写真の掲示がありましたが、見込みは見られませんでした。

 

これは入蔵だけが感じたことではないと思います。

お茶のお稽古をなさっている、年配の女性だと、入蔵程度の身長の方は、まだ、たくさんいらっしゃいます。

その工夫をしていただけたらこの間の展覧会は本当に満点でした。

 

今度の展覧会はどうなのでしょうか?

 

ブログ読者の中にはもういらした方もいらっしゃるでしょうから、ご教示いただけると嬉しいです。

 

まあ「見込みが見られる見込み」がなくとも入蔵は行く予定ですが(^O^)。

 

でも、見込みはお茶碗の中の宇宙の大事な大事な要素ですからね。

 

1人で出かけるシリーズを始めるようになり、入蔵の行動の自由度は増しています。

入蔵の残りの命数を考えれば、これでいいのかもしれません。

 

今は入蔵の興味の赴くままに行き先を決められます。

一緒に行きたい相手を想定していると、行き先の自由度は下がります。

 

でも、その不自由さにかえられない嬉しさ、楽しさがあるので色々と考えるところです。

 

そういう点で、趣味、趣向のあったパートナーに巡り会えた方は本当に幸せだなと思います。

お互いの趣味、趣向を尊重しあう暮らしも素敵ですが。同じならばもっと素敵でしょう?

どうなのかな。

 

皆さんのご意見、お待ちしています。

 

さて、来週の日曜日は休日診療当番、土曜も診療の予定が入っているので、この一週間は丸々一日の休みはない事になります。

 

仕事があることに感謝して、この一週間を無事に過ごせたら良いなと思います。

 

ではまた(^^)/