子どもたちは、この雨の中、兄弟揃って、映画を見に行きました。

本当に仲がいいです。

 

入蔵は、仲良くしろなどと言ったことはありません。

 

歳を取っていけば、生活環境の変化ということもあるでしょうから、二人の関係も変わるかもしれません。でも、この二人はずっと仲良くやっていくでしょう。

お互いを思いやる気持ちが、まったくなくなるとは考えられないです。

 

入蔵、甘いかな?

 

でも、多分大丈夫。もし、これが家庭教育によるものだとしたら、入蔵の貢献度はゼロです。

亡妻に感謝です。

 

入蔵が茶碗好き(本当は焼き物好き)なのは、このブログの読者諸氏はもうご存知です。

入蔵がお金持ちだったら、茶碗を集めたいところですが、それは叶わぬ夢です。

 

そこで、入蔵はぐい呑を集めていました(最近、手元不如意なので過去形になりました)。

 

同じ作家なら、茶碗とぐい呑は、同じ土、同じ窯で焼いているはずですが、ぐい呑は随分と割安だからです。

入蔵と同じ理由で、ぐい呑を収集している人は、多いはずです。

 

「収集というものは、収集品を見た時に、一本の道筋が見えるようでなければいけない」と、までは言いませんが、そうなっていると、その収集品を見せてもらった時の興奮度がかなり違います。

 

素人収集だと、全てが、名品というわけには行かないことが多いです。でも、、全体を見ると、それを収集した必然性、道筋、思想というものが見えて、興味深いコレクションになっているということがあります。

 

逆に言うと、それがコレクションというものでしょう。

 

入蔵の集め方は、ただ、ただ、入蔵が見て、美しいと思うものを自分の手の届く範囲で購入するという方式で、産地とか、作家とか、時代とかという視点を定めての収集ではないです。

 

銀座の某焼き物やさんの店員さんに「そういう、安手の物を色々買うのはよして、もう少し良いものを少し買ったらどうですか?」と言われたことがあります。

 

「ちょっと綺麗だ」「かわいいだ」などという理由で購入した作品が随分あります。

本当に無駄遣いです。

 

良いものを頑張って買うのは、とても勉強になります。

勉強という意味ではこれが最も良い勉強法でしょう。

真剣味が違いますからね。

 

その時は良い買い物をしたと思っても、後で、後悔することも多々あります。

ただ、収集の道は失敗なしは無いでしょう。

美術館を建てるような収集家でも必ず失敗しているはずです。

 

もう十何年も前のことなのに、思い出すと未だに悔しい、ぐい呑にまつわる思い出があります。

 

それは、同窓会の懇親会で、某料理店に行ったときのことです。

 

初めての店でしたが、その当時は斬新な料理と、モダンな店の作りでちょっと話題になった店だそうでした。

 

その店では、色々な種類の日本酒を出すのですが、日本酒を飲むぐい呑は大きな笊に入った土物(つちもの)のぐい呑の中から好きなものを自分で選ぶのです。

 

選ぶといっても、ぐい呑自体は数物で、基本は同じもので、雑器です。ただ土物ですから、一つ一つの持つ表情が違うので、選択が成り立つというわけです。

 

その中に、入蔵は「とても良い」ものをみつけました。

 

形といい、土味といい、釉薬の流れる景色といい、とても素晴らしいものです。

 

入蔵はどうしても欲しくなり、廊下に出て、お店の人に事情を話し、「お金を払うので譲って欲しい」と頼んだところ、その人は、料理長に話をしてくれました(多分オーナーだったのでしょう)。

 

結果は「料理長が差し上げてくれと言っている」という嬉しいものでした。

入蔵は、感謝の言葉を伝えてくれるように頼み、そのぐい呑を、座敷の食卓の下に置いた自分の鞄の上に置きました。

とても嬉しかったです。

 

宴会はそのまま進み、デザートが出て、もうそろそろ終宴というところになりました。

 

入蔵はトイレに行っておこうと思い、トイレに行きました。

 

帰ってきて、鞄の上を見ると、ぐい呑がないのです。

鞄は机のかなり奥深くに入れておいたので、よほど手をしっかり入れないとぐい呑は取れません。入蔵の両隣、前後ろの先生方は、入蔵が料理長からぐい呑をもらった話は知っているので、触らないはずです。

 

お片付けの中居さんが片付けてしまったとしか考えられませんでした。

 

でも、片付けられないように、先程述べたように食卓の下かなり深くに鞄を入れ、大事に乗せたのです。

 

中居さんに、料理長の許可を得て、のけておいた由を話し、知らないかと訪ねましたが、「知らない」と言われてしまいました。「代わりをお持ちしましょうか」と言われましたが、正直、それだけが「良かった」ので、代わりはないです。

 

多分洗い場に行ってしまったぐい呑を、同じような何十ものぐい呑の中から探すのは(本当はしたかったですが)迷惑をおかけすることを考えるとできなかったです。

 

こんな事を執念深く覚えていて、人にまで話すなんて、なんて入蔵はちっちゃい人物なんでしょう^^;。

 

でも、ものを集める人って、こんな感じじゃありませんか?

 

入蔵がこんな情けない話を書いているところに、今、子どもたちが帰ってきました。

本当にちっちゃい親父で情けないです。

 

子どもたちがこの父親に似ないように心から祈ります(^O^)。

 

ではまた(^^)/