今は、どういうお客さんが主体なのか、入蔵にはさっぱりわかりません。

 

しかし、少なくとも、明治、大正、昭和のはじめの頃は、お能のお客さんは、その殆どが、お謡を習っている方々で、能の公演でも、舞台を見ている方は殆どいらっしゃらず、お謡本に皆さん目を向けていらっしゃったようです。

 

それがいけないことかどうかも、入蔵にはわかりません。

 

でも、その次代に活躍した名人の逸話というものが種々残っています。

 

名人の僅かな腕の曲げ伸ばし、面の上げ下げ、杖の一突きが時間と空間を一瞬にして変えてしまったというような話は枚挙に暇なく、入蔵は今その一瞬に立ち会いたくて、能を観に行っていると行っても過言ではありません。

 

しかし、入蔵は、そういった名人芸に出会ったことはなく、最近では、「名人」といったものが本当にいるのだろうか、「鑑賞の名人」がいるだけではないのだろうかと思ってしまうのです。

 

でも、お能の公演に行くたびに、入蔵もそれなりに満足感を得ていますので、鑑賞者のレベルを問わずに、感動させる何かがお能にあるのは確かだと思います。

当たり前か。

 

このブログでも、何度も触れたように、あらゆる物事に、いわば、やり手と受けての間の問題が潜んでいるわけですから。

できれば、やり手と受け手との間の相乗効果によって、新たな価値が生まれることがあれば望ましい。

 

などと、同じことを繰り返し言うようになったらおしまいですね。

 

さて、五番仕立ての正式な演能では最も重要な三番目物は女性が主役の能と決まっているわけです。

 

能の世界では、最近は女性能楽師の活躍もめざましいです。

そこも、入蔵がお能好きな理由の一つです。

 

もちろん女性が好きというわけではなく(なんだか微妙な表現ですがお汲み取りください)、男女を問わず、活躍できる伝統芸能というところがですよ。

 

でも、冷静に考えれば、本来、伝統芸能というものは演者に対する性的な差別は少ないような気がします(そうではないというご意見の方もいらっしゃる方がいることは承知しております)。

今日、力士の結婚の話題が報じられていましたのでちょっと書いてしまいました。

 

そういうわけで、入蔵は今日、自分の回復具合を確かめる意味で、「作者別に能の名作を楽しむ」という公開講座に参加してきました(今日は十郎元雅/隅田川がテーマでした)。

 

さて、無理をせず今日はこれまで。

 

では、また(^O^)