日本一の梅の郷 日高が誇る「梅」の物語 | CLUB HIDAKA BLOG

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和歌山県の日高地方1市6町をもっと好きになる。

毎回ひとつのテーマに沿って、日高のまちの魅力をご紹介します。


「日本一の梅の郷」として知られるみなべ町。農家の多くは梅を栽培し、加工などの関連産業を含めると町民のほとんどが梅に関わる仕事をしています。今回は、みなべ町と梅の関わりについて、ご紹介したいと思います。




◆梅干しと日本人


まずは、梅干しと日本人との関わりについて見ていきましょう。

平安時代に書かれた日本最古の医学書『医心方』ですでに梅干しの効能がとりあげられています。鎌倉時代になると、梅干しは縁起のいい食物として武士の出陣や凱旋の際に用いられました。やがて武士は食料袋に梅干しを常に携帯するようになり、戦での疲れを取ったり、水を飲むときの殺菌用に使ったりと、大いに役立ったそうです。

広く一般庶民の家庭に梅干しが登場するのは江戸時代になってからで、江戸では正月などのお祝いの席で食べられるようになります。

また明治時代には、各地でコレラが発生して多くの死者を出しましたが、梅干しのもつ殺菌作用に注目が集まり、需要が急増しました。日清戦争の際には、戦地で伝染病にかかった兵士に梅肉エキスを与えたところ完治したそうです。




◆みなべ町と梅


みなべ町は、紀伊水道に流れ込む黒潮の影響を受け、年間を通じて気温の変化が少なく、温暖な気候に恵まれています。日照時間が長い一方で、梅雨の時期や台風の時期には降水量が多く、植物の生育に適した気候条件となっています。

またみなべ町に多くみられる「瓜渓石」は炭酸カルシウムからできており、生育時にカルシウムを多く吸収する梅を栽培するには最適だそうです。

気候と土壌の両方で、みなべ町は良質な梅の栽培に適していたのです。




◆梅の最高品種「南高梅」


明治35年、みなべの高田貞楠は、近所の農家から購入した梅の苗の中に他とは異なる種が一本あることを発見します。その苗からは梅の実がたくさんとれ、しかも粒が大きく美しい紅がかかっていたのです。貞楠はこれを「高田梅」と名付けて大切に育てました。その後も長い間、高田梅の優良性を知った農家の手によって高田梅は受け継がれていきます。

1950年代、梅の優良品種を統一して市場の安定を図るための調査が行われ、37種類の候補の中から高田梅が最優良品種と認定されます。調査に尽力したのが南部高校の教諭だったことから、「南高梅」と命名されました。

梅のトップブランドとして全国的に知られる南高梅は、実が大きく種が小さいため、果肉が厚くて柔らかいという特徴があり、主に梅干しや梅酒に加工されています。




◆みなべ・田辺の梅システム


平成27年、「みなべ・田辺の梅システム」が世界農業遺産に認定されました。世界農業遺産は、次世代に受け継がれるべき伝統的な農業を守り、持続的に活用していくための仕組みで、日本では計8地域が認定されています。

みなべ町の木・ウバメガシを中心とする薪炭林が梅林に雨水を供給し、薪炭林に住むミツバチが梅の受粉を助けています。さらにこれらは木炭やハチミツを生み出し、地域の人の生活を支えています。梅の栽培を中心とした持続的なシステムが構築されているのです。

この地域で400年以上受け継がれてきた、伝統的な農業の仕組みが世界的に評価されています。




◆梅林の季節がやってきた


これから春にかけて、梅の花が見頃を迎えます。「一目百万、香り十里」と言われて見渡す限りの梅林が続く南部梅林や、約2万本の梅が白いじゅうたんを敷き詰めたように花を咲かせる岩代大梅林など。梅林のオープン期間中は様々なイベントが行われます。

梅の香りと白い花が一面に広がるみなべ町に、ぜひお越しください。


南部梅林HP

岩代大梅林HP


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