生きること死ぬこと | あきおいの自由に遊ぶ、ヤルッキャァナイ人生

あきおいの自由に遊ぶ、ヤルッキャァナイ人生

いろんなことを楽しんで生きる。シンプルに、自由に、笑顔で。
あきおいのヒーリングセッション、たくさんの人に受けて頂きたいです。


タマラアドバンストプラクティショナーのあきおいです


64  午後155

義父が旅立ちました

95歳でした


86歳になる義母と 

普通に

身の回りのことも

1人で出来ていた義父が

膀胱炎で入院したことから

認知症が進み

昨年の10

大分市内のすぐ近くの

介護施設に入っていた義父

5月に

結核の診断を受け

(右肺に水が溜まっていた)

別府の病院の隔離病棟に入院し

だんだん食事が食べられなくなり

下血して

十二指腸あたりの

消化器官出血もあることが判明

酸素と

点滴と

輸血で

なんとか持ち直して

意識もはっきりしてきた

意識のハッキリしているうちにと

大阪の義兄夫婦が

6/3

お見舞いに帰ってきた

義父も喜んでいるようだった

そして

6/4  

義兄夫婦が

列車に乗って帰ろうとした

直前に病院から

容態が急変したので

すぐ来るようにと電話が入った

義母と妻と義兄夫婦は病院へ

まもなく

亡くなったとの知らせが入った


義父は

大正11年に四国の愛媛県南宇和郡に生まれた

子供の頃から

心臓が弱かったようであるが

自然の中で

豊かに

のびのび

おおらかに

育ったようである

成績も良かったようである

成人し

満州に渡り就職

戦争で召集され

北満国境から台湾に転戦

台湾で終戦を迎え

無事に帰国

四国に帰り

親戚を頼って

熊本から大分へと移り

昭和23

義母と結婚し

一男一女を得る

大分市内で

コロッケ屋さん

始めて

生計を立てていた

大好きな民謡を習い免状も得た

高音部を

気持ちよく伸ばす歌い方を

今も思い出す

ゴルフも好きで

仲の良い友達と

よく行っていたようだ

年取ってからは

グランドゴルフを

地域で

教えたりお世話を良くしていたようだ

どこにいても

周りを楽しませ

自分も楽しんで

人生を活き活きと

通って来たのでした

  ひ孫にも

慕われ

優しい笑顔が

素敵でした

90歳も近付いた頃

脳梗塞で言葉の記憶を失い

会話が難しくなって

とても辛かったですが

本人はもっと

辛かったことでしょう

95年もの長い年月を

生きてこられ

最後まで

一生懸命に生きようとする姿に

感動し共感しました

お義父さん

ほんとうに

今まで見守って頂いたことに

感謝します

ありがとうございました


生きるということの

素晴らしさ

辛さ

よろこひ

かなしみ

ありがたさ

感じて生きたい 


間違いなく

人はいつか

必ず死ぬのだから

時間は限られている

ヤルッキャナイ人生

とことん

楽しんで

生き抜きます

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