タマラアドバンストプラクティショナーのあきおいです
6月4日 午後1時55分
義父が旅立ちました
95歳でした
86歳になる義母と
普通に
身の回りのことも
1人で出来ていた義父が
膀胱炎で入院したことから
認知症が進み
昨年の10月
大分市内のすぐ近くの
介護施設に入っていた義父
5月に
結核の診断を受け
(右肺に水が溜まっていた)
別府の病院の隔離病棟に入院し
だんだん食事が食べられなくなり
下血して
十二指腸あたりの
消化器官出血もあることが判明
酸素と
点滴と
輸血で
なんとか持ち直して
意識もはっきりしてきた
意識のハッキリしているうちにと
大阪の義兄夫婦が
6/3に
お見舞いに帰ってきた
義父も喜んでいるようだった
そして
6/4
義兄夫婦が
列車に乗って帰ろうとした
直前に病院から
容態が急変したので
すぐ来るようにと電話が入った
義母と妻と義兄夫婦は病院へ
まもなく
亡くなったとの知らせが入った
義父は
大正11年に四国の愛媛県南宇和郡に生まれた
子供の頃から
心臓が弱かったようであるが
自然の中で
豊かに
のびのび
おおらかに
育ったようである
成績も良かったようである
成人し
満州に渡り就職
戦争で召集され
北満国境から台湾に転戦
台湾で終戦を迎え
無事に帰国
四国に帰り
親戚を頼って
熊本から大分へと移り
昭和23年
義母と結婚し
一男一女を得る
大分市内で
コロッケ屋さんを
始めて
生計を立てていた
大好きな民謡を習い免状も得た
高音部を
気持ちよく伸ばす歌い方を
今も思い出す
ゴルフも好きで
仲の良い友達と
よく行っていたようだ
年取ってからは
グランドゴルフを
地域で
教えたりお世話を良くしていたようだ
どこにいても
周りを楽しませ
自分も楽しんで
人生を活き活きと
通って来たのでした
孫 ひ孫にも
慕われ
優しい笑顔が
素敵でした
90歳も近付いた頃
脳梗塞で言葉の記憶を失い
会話が難しくなって
とても辛かったですが
本人はもっと
辛かったことでしょう
95年もの長い年月を
生きてこられ
最後まで
一生懸命に生きようとする姿に
感動し共感しました
お義父さん
ほんとうに
今まで見守って頂いたことに
感謝します
ありがとうございました
生きるということの
素晴らしさ
辛さ
よろこひ
かなしみ
ありがたさ
感じて生きたい
間違いなく
人はいつか
必ず死ぬのだから
時間は限られている
ヤルッキャナイ人生
とことん
楽しんで
生き抜きます
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