もう一人の患者さんBさんのお話を。

ガンのホスピスとは、もう完治の見込みが望めない
末期の患者さんをケアする施設である。

安らかに死の時を迎えるまで過ごす施設である。

Bさんは入院されて毎日毎日、自身の境遇を嘆いていた。

「どうして私が...ガンになるの」
「なんで私が...死ななきゃならないの」

「死」を前にしても、やはり受け入れられるものではない。
その境遇になれば誰しも、そう嘆くのは無理も無い。
当然だと思う。

いえ逆に「貴方の余命はあと数ヶ月です。来年の桜は見られないかも知れません。」なんて

告知される方が「生きる」ことの執着心が
出て来るのである。

死にたい...なんて考えられるうちは元気な証拠
なのである。

それほど人というものは勝手な「無い物ねだり」をする
生き物なのです。

しかしこのBさんにしても思いを変えられた日が
来るのである。

なんとこのBさん、ガンである腫瘍に「ぽこちゃん」
という名前までつけて

「おはよう~ぽこちゃん。元気ですかぁ。
お母さんは元気ですよ~」

そう言いながらガンの部分を来る日も来る日も
愛おしんでナデナデなぜて
まるで生き物のように「ぽこちゃん」「ぽこちゃん」と
話かけて扱った。

「もう、ガンのぽこちゃんと共に生きる事にしたわ。
今まで嫌ってごめんなさいね。

そう思ったら何だか急に愛しく思えてきたの。ぽこちゃんのおかげでこんなふうに考えられるようになったのよ。
それほど今まで忙しい毎日を送ってきたのね。」

心を亡くし生活していたのに今その心を取り戻したと。ぽこちゃんのおかげだと。

太古の昔から、寿命ですら「死」がくるのを恐れ
不老不死の薬を求めた。

食べ物も少なく病気も治す、すべも持たず飢饉や水害などで命を落としてきた時代、
戦争で「お母さん!」と叫び飛行機に撃墜した
特攻隊の若者。

物が不自由な時代でありながら、命さえ国家の意思に
捧げねば生きられない時代から、まだ70年位しか経ってないというのに。

しかし衣食住が満たされてる現代になったら
「死」すら望むのです。

ほとほと人というものは無いものが欲しくなる
やっかいな存在です。

もう、おわかりですね。

Bさんが毎日愛おしんでナデナデしたガンの
「ぽこちゃん」は、段々とその姿を小さくし

やがて...跡形も無く消滅してしまったのでした。

「受け入れて感謝する」どうやらこれが
キーワードのようです。

これが学びなのです。奇跡と言われる現象すら
誰にでも起こるのです。

Bさんの場合はまだ生きて学ぶ課題があるのでしょう。
やる事があるのでしょう。
なので命を再び与えられたのだと思います。

病気になったから気づけたのです。
衣食住を考える必要なく、ベッドで過ごす毎日だからこそ
自分と向き合えたのです。
支えてくれる他人の力を借りて。

病気は自分が治すのです。お医者さんも薬もその手助けをしてくれるに過ぎないのです。
自分の心(思い)を変えられれば自分でメスのいらない
手術が可能なのです。

それは私も身を持って体験させられてきました。
でもホントは痛い思いをしないうちに
気づければ合格なんです。境遇を落とされる前に...
気づかれる事をお勧めします。

無くしてから気づくのは...遠回りで損ですよ。


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