上野の国立博物館に、春日大社の宝物、見に行ってきました(^^)。
春日大社…。
仏舎利(釈迦の遺骨、と言われているもの)を収めた、細工の美しい様々な容器が展示されていたんですが、春日大社で一番偉い神様である武甕槌(神道の神様です)の乗り物として神聖視されている鹿の背中に、仏舎利の入れ物が乗せられていたりするんですよね。
神社なのに、仏教と同化していた時代も長く、宝物は仏教色の強いものになっていました。
武甕槌は、鹿に乗って、鹿島神宮からやってきて、春日大社に祀られた伝説を持ちます。
春日大社は前にも書いたように藤原氏の氏神的存在なのですが、この、もともと武甕槌が祀られている鹿島神宮のほうにも、岡田くん演じた藤原氏の始祖、中臣鎌足の逸話が多く残っているそうで、春日大社と鹿島神宮のつながりをいろいろ考えるのは、私としては面白かったです。
なぜ、遠く離れた鹿島(茨城)の神が奈良の春日大社に祀られ、朝廷から鹿島の神社が日本でも指折りの神宮として扱われるようになったのか。
中臣鎌足がもともと神官の家出身だったことが関係しているのかもしれません。
武甕槌は武神の性格も持ち合わせており、後世、鹿島の神官出身の塚原卜伝は、鹿島神宮に伝わる武術を極め、戦国に剣聖として名を上げました。
鎌足も、大化の改新でクーデターに成功したのちは、朝廷の軍事を司ったようです。
秀才であったという鎌足。文武に優れ、後の天智天皇である中大兄皇子を支えた功労者であった彼に対し、その子孫たちは自らの繁栄を祈念してそのルーツを祀ったのでしょう。
あるいは、子孫である藤原氏は、武甕槌と鎌足を同一視していたんじゃないでしょうかね。
さて、見に行った目的の、藤原頼長奉納の黄金づくりの太刀。
実際見てみると、結構細身で華奢な作りでしたが、施された細工はやはり素晴らしいもので、「これ、再現して」と依頼された現代の名工たちはさぞ頭を抱えたんじゃないかと想像しました(笑)。
ざっと900年前にこの技術…。
他にも彼の奉納した宝物が展示されており、他者の宝物よりさらに豪奢ながらも独特の品の良さのようなものが感じられ、保元の乱で若くして命を落とす彼の趣味がうかがわれたような気がしました。
それにしても、常々不思議に思っているんですが、古くから金属加工について、日本は外国に劣らぬ技術を持っていたことが今回でもはっきりわかりましたが、宝飾品好きの私としては、日本でだけ、宝飾文化がはぐくまれなかったことが興味深いです。
指輪とか、首飾りとか、日本以外の国は大抵自らを飾る宝飾品の文化が発達しているのに、日本にだけ見られないような気がします。
光物で身を飾ることが、高貴な人間にとって、いっそ下品なことのようにとらえられる文化があったような感じがしますね。
一緒に行った次女と、なぜだか考えてみて、次女が「飾るのは神様だけでよかったんじゃない?」といった一言がヒントのように思えました。
日本て、祭祀に使うものについては、とても高い技術を持って素晴らしい工芸品を残しているんですよね。神社の建物の金具とかも相当凝ってます。
秀吉以降の城の装飾もすごいですが、日本の美意識って、ちょっと他の国とは別のところにあるような気がします。
一見、凝っているのが分からないようなシンプルな造形に、恐ろしいほど時間と労力をかけたりするところに、日本の侘び寂び、ひいては、日本人気質みたいなもんがあるんじゃないかなぁ。
千利休の屋敷に咲き乱れる朝顔が見事であると噂を聞きつけ、それを目当てに秀吉が訪ねたところ、茶室に飾られた一輪を除いてすべて切られていた、という逸話があります。
こういうのが、そういう美意識だったりするんじゃないでしょうかねぇ。
さて、宝物展を見た後は、次女と旦那を動物園に送り出し、自分は都美術館の池坊の生け花展ものぞいてきました。
池坊では立花と生花、自由花というジャンルがあるんですが、立花と生花は伝統的スタイル、自由花はそれを踏まえて現代的に自由に生けるスタイルです。
ちょっといいなって思ったのがこちらの作品たち。
あらっ??
なんで表示が横になっちゃうんだ??
なんか、うまくなおせないので今日はこのまんま…。
この六点は自由花です。
お生花はこちら↓
立花はこちらかな↓
秀吉の時代の頃、生けられていたのは立花で、
生花は江戸時代頃からのお花かな。
今回のお花は小規模なものが多かったけど、すごいのは大広間いっぱいに生けられるようなのもあります。
ほぼ、花というか、木を組み合わせて生けてるみたいなすごいのも…。
秀吉時代に実際に生けられたものを再現したやつを見たことありますが、バックに掛け軸を8枚かけて、広間に大ぶりの松で大迫力で生けられたもので、秀吉の権勢をそのままデモンストレーションしたような感じでした。
茶道も華道も、その頃は政治に直結していたものだったんでしょうね。