今日、旦那とようやく見てきました。

スクリーンで見てよかったぁ…。

なんかね、割と最初っから涙ぐんでみてたなァ…。

なんでか。

 

以下、ちょっとネタバレするので、見たくない人は見ないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠い昔、はるかかなたの銀河系で…。

いつもの決まり文句から始まるスターウォーズ。

特別な映画です。

他の何にもまねのできないブランドって言うかねぇ。

面白かったけどねぇ…。

私としては、やっぱ、ああ、これで私のスターウォーズは終わったなぁ、という寂寥感が、見終わってはじめの感想でしたねぇ。

ずっと昔のエピソード4から始まったこのお話。

スターウォーズの主人公といえば、不動のルーク・スカイウォーカーでした。

これ、若い層のスターウォーズファンにはわからないんだろうなァ。

 

ルークについて。

エピソード4で、自分が何者かも知らず、両親を殺され、オビワンと旅立ち、途中でハンソロに出会い、レイアを助け、レジスタンスに加わり帝国とたたかい、ベイダーと出会う。

ベイダーにオビワンを殺され、エピソード5ではフォースに目覚め、ヨーダに鍛えられ。

ベイダーに対峙するも片手を切り落とされハンソロを失う。

エピソード6ではハンソロを救出し、帝国に一矢を報い、ベイダーに打ち勝ち、自身の出生の秘密を知り、アナキンにはじまるスカイウォーカー一族のつながりが明かされる。

ベイダーは、ルークとの戦いによってアナキンに戻り、暗黒面から救出される。

これが、銀河をまたにかけた壮大なる親子喧嘩のストーリーですが、エピソード1・2・3ではアナキンがなぜベイダーになったかが語られる。

そして、直近のエピソード7・8でルークの人生に幕が下りるわけですね。

 

エピソード1・2・3が私にとってなぜ面白かったか、といえば、ルークのアイデンティティがここで語られるからです。

一人の英雄(アナキン)の光と影が、その息子(ルーク)によってそそがれる。

これこそがスターウォーズ。

全6部で完結しているも同然なんですよね。

でも、この映画がルーカスを離れてディズニーの手に渡ってから、この物語は変質しました。

私にはそう思えたなぁ。

 

くどいほどに7では4を下敷きにコピーして見せ、何をしたいのかなぁ、と思って見ていれば、8で、絶対主人公のルークはその役目を終えてしまいました。

極端な表現をすれば、7で、今までのキャラクターの役割を、新世代に引き継がせ、旧世代にとどめを刺していくのがエピソード7・8・9とも言えるのかもしれません。

エピソード4、ことの発端はレイア。

彼女がエピソード9の幕を引くのでしょう。そして、スターウォーズは終わる…。

とはならないんじゃないかなぁ!(苦笑)

スターウォーズというブランドはまだまだ稼げるから、ディズニーとしては必ず何かしら新作を用意することでしょう。

新しいファンの人にとってはそれもまたよし、ですが、私にとっては何とも物寂しさを感じる展開であります。

 

私にとって、スターウォーズとして物語を語るに絶対条件があります。

スカイウォーカー一族が主人公であること。

ジェダイがジェダイとしての手順を踏んでジェダイとなること。

ビームサーベル。

フォースが物語で重要な役割を果たすこと。

新世代レイは、特に修行することもなく、フォースを操ります。

物語のエピローグで、反乱軍の指輪をはめた少年が、フォースの片鱗を見せてたりします。

これって…。

ただの超能力少年じゃん。Xメンと変わらんやん。

他の幾多の映画で闇と光の戦いやってるなか、スターウォーズがスターウォーズたる枠を外しちゃった気がして残念。

 

ルークというキャラクターは魅力的でした。

優柔不断で自分に自信がなく、弱くて頼りない面がある一方で、これが、ここぞ、という時最強という心地よさ。

スーパーヒーローではなく、悩み苦しみながらも未来を勝ち取っていくキャラクターでした。

見ている人が共感するに足りるキャラでした。

どうも私にはレイが強すぎる。

カイロ・レンは見る人の心理から乖離している。

新世代で、共感を得やすいのはフィンかな。

敵のトルーパーでありながら、反乱軍に身を投じて英雄になっていくのはなかなか見ごたえがあります。

今回登場のローズもいい味出してますよねぇ。

フィンが特攻さながら敵の巨大砲に向かっていくのを命がけで止めるのには、わが身を捧げたホルド提督のアンチテーゼと見た。

一回、自己犠牲を肯定しながら、それを否定して見せるストーリーは面白かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとね、私独自の観点ですけど、どんなに追い詰められてもゲリラ戦をやめないレジスタンスを見ていると、太平洋戦争下の日本軍も似たようなもんだったんじゃないかとなんて連想しましたね。

みんな徴兵された、その辺の普通のお兄さんやお父さんでしょ。

軍人として訓練されたとはいえ、職業軍人じゃなかったと思うんです。

それが、パラオだったり硫黄島だったりで、圧倒的な火力を持つアメリカ軍に果敢に戦いを挑んで、勝てないまでも大変な痛手を与えるわけですよ。

硫黄島では二万人の将兵のうち、生き残ったのは1000人ほどと言われています。

クリント・イーストウッド監督の「硫黄島の手紙」で渡辺謙演じる栗原中将は、敵にも敬意を払われる存在だったようで。

戦争はおろかだと思いますけれども。

いまだにアメリカの軍人が硫黄島を慰霊のために訪れるのは、自国の軍人への慰霊のためだけではないようです。

昔十代のころはね、どうして戦争なんか起こしたのか、日本の軍人はおろかだと思っていましたが、この年になるといろいろと見る目も変わるものでしてね。

またちゃんと、「硫黄島の手紙」見ようかな。

「父親たちの星条旗」とともに。