晴れたり曇ったり

夫のステージⅣ 切除不能進行食道癌の闘病記録と旅立ちからの日々

せめて健康ならば・・

2017年01月18日 | ひとりごと
高校時代、汽車通学で一緒だったF。
大人しくあまり目立つタイプじゃなかった。
いつもFと一緒にいる幼馴染だというSのほうが賑やかで
どちらかというとSとのほうが話しやすかった。

高校を卒業してから何年も経って
どういう流れでまたFと再会したのか記憶にないが
Fにはもう2人の子供が居て生活の為に夜の仕事をしていた。

Fの当時の旦那は、会社が倒産して失業保険をもらいながら職探しをしてたけど
思うように仕事が見つからず、失業保険が切れても仕事に就けなかった。
夜の仕事とFが結びつかなかったけど
当時の旦那と離婚したいことでお金が必要でもあったらしい。

夜のお店のマスターに言い寄られ気持ちがなびいたのも
当時の旦那から離れたいという一心だったのかもしれない。
ところがそのマスター、とんでもないストーカー男で
別れるのに私も相談を受けて手伝ったものの、相当しつこかった。

それからしばらくしてFから電話がきた。
旦那の仕事も札幌に決ったことと、ストーカー男に二度と会わない為にも札幌に引っ越すという。
普段の生活費もままならないはずなのに引越し費用があるわけもなく20万ほど貸すことになった。
引越しもお金がかからないように自分たちでやり、手伝いにいった。

札幌で新しい環境になり、上手くやっていると思っていたのも束の間。
Fに何度電話をしても連絡が取れなくなり、貸したお金もそのままで数年が経ち諦めていたら
長く借りっぱなしで申し訳なかったとFから連絡がきてお金も返してもらった。

札幌へ引っ越したあと旦那が就職した会社に馴染めず退職して無職になり
気付いたらサラ金地獄で催促の電話が鳴りっぱなしになるので電話も止めて
Fは、昼と夜の仕事をしながら生活を支えていたが限度があり長く続かず。

横浜にいる叔父に相談して叔父が借金を肩代わりする代わりに
旦那を叔父の会社に働かせ、肩代わりした借金は給料から毎月天引き
生活費は叔父からFへ直接送られ、寮があるので旦那は、小遣いだけの生活をすることになり
それでやっと借りたお金を返す目処がついたので返しに行きたいというものだった。

Fは、旦那の給料の仕送りだけでは足りず、昼はコンビニ、夜はパン工場に働くなどして
必死に二人の子供を育て暮らしていた。

数年後、私が離婚して一人札幌で暮らすことにしたのもFが居たからで
アパート探しや引越し、買い物、全てFに頼った。
が、Fの家には元の旦那ではないTという男の人が一緒に住んでいて
部屋探しの間、Fの家に泊まっていたらいいと言われたものの遠慮した。

私が転んで骨折した時も毎日、病院に来て洗濯物を全部持っていくような綺麗好きなやつで
料理も手早く、美味く手先も器用で何でもよく気が利いてがさつな私と大違い。

そんなFから相談があると連絡が来た。
一緒に暮らしているTが25年勤めた会社を辞めて独立するという。
退職金やらで資金繰りをしたがどうしても50万ほど足りないから貸してほしいという話だった。
私は、普段なにかと姉妹のように頼っているFの為ならと50万用意した。

FとTは、二人で懸命に働き小さく始めた会社も軌道に乗り
半年もしないうちに50万のお金は利息を付けて返してくれた。

横浜にいる元の旦那とは、弁護士を立てて離婚話を進め10年ほどかかってやっと離婚成立。
それから数年後、FとTは再婚した。

会社が軌道に乗ったとはいえ、設備投資も必要になり資金繰りが大変なのは続き
数年後、再びTから50万ほど足りないから貸してほしいと電話がきた。
貸したお金は、数ヵ月後に返してもらい、その後、借りに来ることは無くなった。

私の飲食店時代は、溜まったツケが回収出来ないままのものも多く
お店を閉めてからも付き合いのあった友人数人に小額だけど貸したお金もほとんど戻らず
友人との連絡もつかなくなり、どんどん疎遠になっていく中、Fだけは、裏切らなかった。

Fの父親はもう亡くなっているが生前は、食道癌を患い
札幌の病院へ転院させ治療し、大きすぎて手術不能だった癌が小さくなり手術をして
術後は、15年近く再発もなく生きたが高齢の為、肺炎を起こして他界した。

そんな父親の看病をしてたせいもあって食道癌の症状に詳しく
食べやすい物、飲み込みやすい物を差し入れによく持ってきてくれる。

私が引篭りになっている時も心配してよく電話をくれた。
家に篭ってばかりじゃダメだとお茶を飲みに外に連れ出されたりもした。
PCが引篭りの原因ならそんなPC、私が壊してあげる!と言ったこともあった。

当時の私は、誰にも会いたくない、話したくないという精神状態なのに
本気で心配してくれていることが伝わるから、Fにだけは、会い心を開いていた。

Fが作業場にしているところの2Fに仕事仲間の応援もあって手作りの自宅を作ったと聞いた。
同じ市内でありながら引篭りの私は見に行くこともせず、お祝いすらあげていなかった。


年明けに椅子の交換をFに頼んだあと初めてFの家に行くことができた。
外見は、作業場でバラック小屋のように見えたが
2Fの自宅へ向かう玄関に入ると全く異なる風景。

吹き抜けの階段から2Fへ上がると広いリビングに大きなTVに応接セット。
大きなリビングテーブルには、回転式の椅子が6席。
対面式の広いキッチンと繋がった広いユーティリティテラス。

部屋は4つあるが1つは、娘、もう2つ目は、部屋ごとクローゼット。
結婚して出ていった息子の部屋を頚椎手術したFがリクライニングベットを置き使っているらしい。
腰の悪い旦那のTは、リビングテーブル横の和室仕立ての部屋に寝ているそうだ。

作業場を作る為の土地を安い時に買っておき
いざ作業場を作るとなった時、そこから見える夕陽があまりにも綺麗なんで
旦那のTが「俺、ここに住む!ここの夕陽を見ていたい!」と言い
急遽、自宅も併せて作ることにしたそうだ。

サッシや内装、修理全般を請け負う会社だったので
余った材料や発注ミスで残ってしまったものを使い
仕事仲間の応援もあって、お金は、あまり掛かってないと言っていた。

あちこちに工夫がされていて暖房も下の作業場からの熱を2Fへ上げるように通気溝が床にあり
下からの温かい熱は、床を暖める為、2Fに設置したストーブは使うことが無いという。
リビングから夕陽を見る為、普通の窓の2つ分あるかと思われるような1枚ものの大きな窓。

ずっと狭くて隙間風だらけのアパートに何十年も暮らし広くて温かい家に憧れたF。
私が築35年以上なる中古だけど都心のマンションに住んだ時も羨ましがったF。
どんな時でも前向きで愚痴もこぼさず、誰にでも優しくできるF。

Fの家を見て私は
「おめでとう!今までずっと苦労してきたことが報われたね」と心から思った。
「やっと夢が叶ったね。Fの理想通りの家ができたんじゃない?」と聞くと
「そうだねぇ、頑張ったよ~私も旦那もね」
「初孫も産まれて遂におばあちゃんだ」と笑うF。

幸せそうに笑うFを見ながら、よかったと思いながらも
引っ越した家に戻って自分の今置かれてる現実を見ると
色んな思いが込み上げてきて私は、泣いた。

私は苦労が足りなかったのか・・頑張り足りなかったのか・・
いや、きっと私は、心も身体も弱かっただけだろう。
私にはFと同じことは、できなかっただろう。
Fの強さや逞しさや優しさが羨ましかった。

今は、せめて健康ならば・・と思わずにいられなかった。




4 コメント

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Unknown (一華)
2017-01-18 22:52:20
先日出掛けのついでにお昼を摂ろうと、何気に入ったお店のテーブルに座り、壁に目をやると大きな額に絵と言葉が書いてありました。
健康の健は体で、康は心。

この二つが伴わなければ、健康とは呼ばないのでしょう。

私も病気になり、すったもんだの色んな事があって、でもいつも思うのは、健康だったら幸せなの?
健康じゃなかったら不幸なの?
答えは間違いなくノーです。
物の捉え方の尺度の違いはあっても、価値観の違いがあっても、辛い今だからこそ見える物に真価を導き、今感じる事が大事なんだと思うのです。
夕陽の見える大きなお家を羨ましがり、今の自分の置かれている立場と比較するなんて、一人の命の為に投げ捨てたのに、そんな邪心なんて陳腐なものです。
今現在が私達の終着点ではありません。
これから先まだまだ何があるかなんて解りません。
ご主人様の為にせっかく手に入れたマンションを手放した蘭様の、一人の命を懸命に支えているあなたの心が、私には眩しいくらいです。
人と比べて自分を卑下するような事はお止めなさい。
心が貧しくなります。

どんな時も前を向いて、顔を上げて参りましょ、ね!
一華さんへ (蘭)
2017-01-19 10:45:12
旦那を支えて少しでも長く生きてくれたらと思えば思うほど
末期癌なんだからと開き直り、自由に過ごす旦那にやりきれない気持ちになる時があります。
TVドラマのように、そんなに美しいものじゃありません。

逃げ出したくなる思い、投げ出したくなる思い、叫びたくなる思いは、何かをきっかけに簡単に私の心に現れてきます。
日々、自分の心との葛藤が続き、いつかまた疲れ果ててしまうんじゃないかと思う不安とも闘い
前向きにと思いながらも、どんどん、うなだれて後ろばかり振り返ってしまう。
そんな私も私。

そうして自分を突き落とすとあとは、とにかく今を進むしかないんだと気持ちに切り替えができるのも私。
まだ大丈夫です。
また頑張れる。
Unknown (一華)
2017-01-19 11:14:18
昨夜のコメント、送ってから私の中でも躊躇がありました。
頑張ってる人に頑張れなんて、とよく言いますが、頑張れ以外の言葉を探すも、これといった気の利いた言葉が見つかりません。

蘭様の中での様々な葛藤、私なんかに受け取れる等とおこがましい事も思っていません。
今は暗い闇の中を、ただひたすらに出口を求め光を求めて、1歩づつ進んでおられる事も十分に感じ取れます。

悲しいかな、当事者にしかこの山を荒波を越える事しか出来なくて、何のお役にもたてません。

人は自分が苦しいとき、明るい場所で笑う人を、陽のあたる場所で暮らす人と比較しがちです。
私ももちろんそうです。
病気になった時の私の心はブラックでした。
あれから月日が流れ、今の私が言えるのは、羨む気持ちや妬む心ほど、あれこそ厄介な物はありません。
あんな物は捨てるに限るのです。

蘭様、暖かくなったら、ご主人様の調子の良い時に、1度福井へいらっしゃいませんか。
ストレスと愚直を持っていらっしゃいませm(__)m
そんなもの、荒波の日本海に捨ててやるわ(笑)

長く書いてしまいましたが、人は人、自分は自分、今日もくじけそうになっても頑張るぞ〰〰!!
頑張れ!!
一華さんへ (蘭)
2017-01-19 23:44:33
いつも気遣い、応援胸に沁みますm(_ _)m

海の近くで育ち、スケッチブックには海の絵ばかりの子供時代がありました。
海を見ながらスケッチをしてるとなぜか迷いも悩みもちっぽけに感じて
いつも元気をもらっていた気がします。
残念ながら札幌には海が無いんですよね。

福井へ行きたいですね。
荒波の日本海・・見てみたいな~。
ストレスを山ほど手土産に持参して行きたいですわ(笑)

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