十三のカーネルおじさん

十三に巣くってウン十年。ひとつここらで十三から飛び立ってみよう。

笹部新太郎

2018-03-06 17:19:47 | 趣味

 「亦楽山荘の山桜 現在は枝が切られこの姿ではない」

水上勉の「櫻守」のモデルの笹部慎太郎。彼は御母衣ダム湖の底に消えようとしていた樹齢400年を超える光輪寺と照蓮寺の境内の2本のアズマヒガンを 電源開発の高碕達之助の依頼で移植をした。現在は荘川桜として親しまれ命の大切さを伝えている。38tと42tの巨樹の移植に40日もかかる大仕事だった。ただ活着するまでは地元の人の対応は冷たいもので、笹部の言葉によれば「私の受け取ったものは、ただ、沈黙と嘲罵の二つだけであった。」移植は昭和35年の冬、そして昭和37年の春には枝も花もつけるようになり、地元の人たちは「老若を分かたず、申し合わせたように誰も彼もみな、この僅か生き残った二株の桜の幹を手で撫でて声をあげて泣いていた。」とある。ほっとしたことだろう。佐野藤右衛門は「桜花抄」の中で笹部のことを書いている。「笹部さんは日本の桜界において、名実ともに第一人者であり、全国に残る名桜とは切り離せない存在として知られている。さらにみずから育成栽培を手掛けて、その道でも有数な名家というべき人である。しかも変転ただならぬ時代に処し、ご自分の信念に行き、筆に口に亡びゆく名桜、巨桜のために挽歌を口ずさみながら、じつはその貴重な生命ととり組んで睪生の力をサクラのためにふりしぼる。しかも名利に超然として、ただ一筋に八十余年の生涯をサクラとともに生きてきた、まことに稀少な存在というべき人である。」現在の桜守佐野藤右衛門の父の言である。笹部は個性と品のない桜を嫌った。笹部がいう優秀な桜とは1 苗木の成長の速いこと2 風説などの天災に耐え得ることこ 3 喬木巨木となる可能性のあること 4 花季のおくれぬこと5 花に気品のあること 6 嫩葉の色、葉の形のよきこと を挙げている。日本全国に気品の劣るソメイヨシノで覆われるのに我慢が出来なかった。私の住む町でも桜まつりが毎年あるが、ソメイヨシノの開花時期にあわせている。そしてそのことを不思議とも思わない人が大多数になっている。ソメイヨシノを桜といい、山桜も里桜も区別がつかない。これは笹部が危惧した日本人の感性の豊かさを脆弱にするものであろう。私がよく行く大阪市立大学理学部付属植物園には約200本の桜があるがソメイヨシノは見当たらない。笹部がこの植物園の桜の植樹について関与したと大学関係者から聞いたことがあるが、確かにそうかと思ったものである。武田尾に氏の演習林亦楽山荘の跡が宝塚市が桜の園として公開しているが、その前の広場にソメイヨシノが一本。なんと皮肉なことか。

 

 

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