採用活動をしていて戸惑うことの一つが、人材の紹介、いわゆる縁故である。人とのつながりは、とどのつまり"ご縁"なので、淡々と粛々と受け入れるに限る。邪念は、採用担当者が持つべきでない感情の一つだ。こういう時の心持ちは、"出会うべくして出会った"ぐらいがちょうど良い。

縁故は2パターンある。まず、紹介者が学生本人にその旨を伝えた上であっ旋するもの。「俺がよく言ってやるから、どんと行け。」というやつだ。もう一つは、紹介者が独断であっ旋するもの。簡単に言うと、誰も頼んでいない、単なるお節介である。採用担当者として、人生の舵取りは自分でするべきだと考えるが、後者の場合は気の毒だと思ってしまう。どうか、本人が最後まで知ることがありませんようにと、切に願う。学生を取り巻くオトナの思惑は複雑である。

ある年、縁故だと認識している学生と面接をした。その態度もさることながら、全然興味がないんだなと感じた。面接を終え、これは一体誰の茶番なのか、誰が得をして誰が損をするのだろうとため息をついたところに、学生から電話がかかって来た。内容は選考辞退の申し出だったが、高圧的な物言いに驚いた。彼の決め台詞は、

「これからの御社に期待していますよ。」

というものだった。

―お前は大株主か―

という気持ちを抑え、淡々と、

「ご自身の納得のいく企業と出会えますよう、

お祈り申し上げます。」

と言って受話器を置いた。

 

―「期待しています」 と言う人。彼に伝わったかは分からないが、学生が一番嫌う"お祈りメール"の"電話版"でその場を片づけた。一度は払い除けた邪念が、倍になって返ってきたということだ。

【私だって人だもの、カチンと来ることもあるのさ】と、またひとつため息をついた。