先日、バスの中でおばあさんが3回も携帯電話の着信を受け、相手と話をした。バスに乗っていることを理由に、手短に話を切り上げるのかと思っていたら、話し込んでしまった。3回目の電話に出た時に、見かねた運転士が「車内での通話はやめてください。」と注意した。両者の会話が聞き取れる"おしゃべり"はそこまで気にならないが、一方の言葉しか聞こえてこない"電話"は、雑音になってしまうから不思議だ。

おばあさんは、相手に向かって、

「運転士さんに怒られちゃったから、切るね。」

と言って、電話を切った。この言い方に、私は違和感を覚えた。そして、どこかで同じような気持ちになったと、過去を振り返った。

ファミリーレストランに勤務していた頃、こんなことが日常茶飯事だった。親子連れのグループが来店すると、子供はしだいに飽きて店内を走り回る。他の客に迷惑がかかるし、万が一事故が起こってはいけないと、親にその旨やんわり伝える。すると、親は子供に向かって、

「お姉さんに怒られるよ、おとなしくしなさい。」

と言うのだ。そう言われると何だかやるせない気持ちになる。私が怒るから、おとなしくさせるのかと、問いたくなるのだ。おばあさんの電話の場面と同じ気持ちだ。

―問題をすり替えるのは、やめて欲しい―

 

―「怒られちゃった」と言う人。"怒られるから、やめる、やらない"という思考は、あまりに子どもじみている。謝れとは言わないが、人のせいにする前に自分の非を認めて欲しい。

いつでも、何がいけないのか、何が問題なのかということを、素直に考えられる人でありたいものだ。