PHP『心に響く・名経営者の言葉』
第4章 努力を忘れない・No.007
「ノーの連発からは何も生まれない。
すぐやる、必ずやる、できるまでやるという、
常に前向きな姿勢を持ってこそ、すばらしい成果が待っている」
永守重信 日本電産創業者(1944~)
永守重信は京都府向日市で生まれた。六大兄弟の末っ子で、彼が中学二年の
ときに父が急死したため、三人の兄は中学を卒業後に就職した。
しかし、幼い頃から優秀だった重信だけは進学が許され、京都市立洛陽工業高校
電気科へ入学する。大学への進学は経済的に許されなかったため、松下電器産業
(現在のパナソニック)へ就職することを決断したが、その直後に出席した中学校時
代の同窓会で、自分よりはるかに出来が悪かったクラスメイトたちが「大学へ進学す
る」と聞き、就職を取りやめて学費のかからない職業訓練大学校(現在の職業能力
開発総合大学校)へ進学した。昭和42(1967)年に卒業した永守は、ティアック、山科
精器などの電機メーカーに勤めた後、三人の同僚とともに小型モーターを開発・製造
する日本電産を創業した(昭和48年)。優れた技術力を持っているという自負からか、
創業当初は強引ともいえる取引を行なってきたことで名を馳せた。たとえば、弱電メー
カーヘ乗り込み「現在使っているモーターの半分の厚さで同じ性能を出してみましょう」
とセールス。開発は、メーカーが「そんなモーターがあるなら買ってやろう」の返事を待
ってからスタートした。
IBMに自社のモーターの素晴らしさを売り込み、大量受注の獲得に成功したこともあ
った。株式の上場を果たし経営が軌道に乗ると、つぎに優れた技術は持っているが何
らかの理由で経営不振に陥っている企業を次々に買収。
子会社化して再建を成功させた企業は10社以上にのぼる。
永守は従業員にハードワークを求めることで知られる、が、自分自身も経済界きっての
ハードワーカーで、「元日の午前中を除いて一日16時間、年間365日働く」と豪語して
いるほどである。「すぐやる」「必ずやる」「できるまでやる」は、永守の経営哲学でもある。
現在は、不可能と思われていたことが数年後には当たり前になっている時代である。
だが、「できない」「ノー」と言ってしまえば、永遠に不可能なままである。
不可能を可能にするためには、まずは肯定し、やってみることが大切なのではないだ
ろうか。
回光返照(えこうへんしょう)
外ばかり見ていないで自分を見つめなおす。
人の心は常に外ばかり意識して外に向かってしまう。
自分白身の心を内側から照らし出して、自分白身を省みること。
:気持ちが楽になる禅の言葉より
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