社畜のための戦時中の名言集

2018/01/03

社畜論


御機嫌よう企業戦士諸君。明日から出勤かな?それとも、すでに職場という名の戦場に出ているだろうか?
そんな諸君を元気づけるため、今日は戦時下の名言集を用意した。当時の苦労を考えれば、今の我々はなんて幸せなんだろう……。労基違反もお国のため……。そんな危険な思想を糧に頑張ってもらいたい。



1.東條首相の算術

2+2=80 これは戦時日本の算術だ。然し一度には出来ない。毎日いろいろと工夫・研究して難しい仕事に勇敢に取り組んでいき今日は2+2=5明日は2+2=7にする。これが2+2=80にする生産増強の鍵だ。

解説:1943年に松下電器産業株式会社で制作された有名なポスターの文句である。これは同年2月2日の朝日新聞に掲載された東條英機の発言「1+4=80」を基に制作されたものだ。簡潔に言えば、現場の精神力と創意工夫だけで、アウトプットはいくらでも増大化が図れる、ということであり、アインシュタイン博士によるE=mc^2よりも遥かに優れた発見であると言わざるをえない。あ、勿論電卓を叩いても無駄だぞ。


2.作戦要務令

第二、戦捷の要は有形無形の各種戦闘要素を総合して、敵に優る威力を要点に集中発揮せしむるに在り。訓練精到にして、必勝の信念堅く、軍紀至厳にして、攻撃精神充溢せる軍隊は、能く物質的威力を凌駕して戦捷を完うし得るものとす。

第六、軍隊は常に攻撃精神充溢し、志気旺盛ならざるべからず。攻撃精神は忠君愛国の至誠より発する軍人精神の精華にして、強固なる軍隊志気の表徴なり。武技之に依りて精を致し、教練之に依りて光を放ち、戦闘之に依りて勝を奏す。蓋し勝敗の数は必ずしも兵力の多寡に依らず。精練にして、且つ攻撃精神に富める軍隊は、克く寡を以って衆を破ることを得るものなればなり。

第八、戦闘は輓近著しく複雑靱強の性質を帯び、且つ資材の充実、補給の円滑は必ずしも常に之を望むべからず。故に、軍隊は堅忍不抜、克く困苦欠乏に堪え、難局を打開し、戦捷の一途に邁進するを要す。


解説:作戦要務令とは、帝国陸軍が1938年に公布したもので、簡単に言えば軍隊の教科書と言うべきものである。ここで注目すべき点は、「精神力によって物質的威力を凌駕できる」「出来ない理由を考えるのではなく、どうすれば出来るのかお前らが考えろ」と、現代のブラック経営者が言いそうなセリフが既に明確に謳われている点である。当時のエリートはこの精神によって純粋培養されていたわけである。
さて、実際に日清日露の戦争で勝利した古老たちはどのような教範を理想としたのだろうか?明治42年歩兵操典によれば、

歩兵戦闘の主眼は射撃を以て敵を制圧し、突撃を以て之を破摧するに在り。射撃は戦闘経過の大部分を占むものにして歩兵の為緊要なる戦闘手段なり。而して戦闘に最終の決を与ふるものは銃剣突撃とす。

と、されている。これは基本原則として現在でも通用するもので、事実、フォークランド紛争やイラク戦争において、英軍が十分な火力支援のもとで近接戦闘を行っていることからも明らかである。ところが、時代が下るごとに、

歩兵の本領は飽く迄突撃に依り、敵を殲滅し、以て国軍独特の戦法に徹するの意を明徴にす。
歩兵は我が白兵戦の優越性に信倚し、必ず己の肉弾に訴へ、最終の勝を決すべきを一層明確に強調し以て歩兵戦闘根本の目標を鮮明にす。
――昭和十四年歩兵操典改正理由書

と、いうように精神力、白兵戦至上主義へと変貌していくのであった。
日本人よ、今こそ新進気鋭、合理主義の明治の精神に立ち返ろうではないか。
……ちなみに、敵国アメリカの操典はどうであったのか?ここに"歩兵操典 歩兵大隊の編制と戦術"と題する1940年発行のマニュアルがあるので紹介しよう。

第一章 歩兵
1.戦争における決定的要素
個人は戦争における最終的かつ決定的要素である。戦闘とは精神の闘争であり、勝利は士気の喪失を拒絶した側にもたらされる。
数的要素、武器、装備、そして技術的訓練もまた士気に影響するが、同時にそれらの価値を完全なものとするのは兵士の精神力である。

こちらでも兵士の士気について、はっきりと書かれている。が、悲しいかな"武器、装備、技術的訓練"の全てがあちらさんには備わっていたわけである。しかも、精神論めいた記述はこれだけで、以降は「指揮官は部下に団結心を持たせなければならない」とか「各自が勝利に貢献していることを自覚させろ」とか至極真当な内容しか書かれていない。


3.船員に告ぐ

第八 挙船見張
武装劣弱を常とする船団に於ける見張りの重要性は実に第一義中の第一義にして、対敵、保安共に独り見張力にのみ依存すると云ふも過言にあらず。されば見張員は神明に誓ってその職責の完遂を期せんとする崇高なる念願を有する責任観念の化身者たるを理想とす。旺盛なる責任感は克く心眼を開かしめ独自の精神力を発揮し遂に神技に達し得るものなり。

第十二 結言 戦争と無理
凡そ戦争は無理の連続なり。敵の加ふる無理を物的にも精神的にも克服して余す処無からしめよ。然らば我勝者とならん。勝者の決は敵に比しより多く無理に堪ふる金剛心、精神力に在りと謂うを得べし。


解説:多くの輸送船が、満足な護衛も受けられないまま戦没したことは、先の大戦の大きな悲劇の一つである。本書は1944年3月に海軍省教育局から発布されたものだが、そのあまりにも精神主義的内容に失笑を禁じ得ない。同じく島国のイギリスが、オペレーションズリサーチや暗号解読による船団防護に勤しんでいる時に、「心眼で潜望鏡を見つけよ」と言われた日本の海員の心境はいかばかりであったろうか。


4.日本ニュース第160号

6月20日、長の潮路つつがなく2万石の大筏が東京芝浦に到着いたしました。敵アメリカを撞着たらしめる、画期的なこの筏が決戦下輸送力強化に果たす役割は甚大なものがあります。
東條首相も親しく視察、関係者の労をねぎらいました。


解説:第二次戦時標準船(※1)、木造機帆船(※2)に続く粗悪船シリーズの決定版がこれである。実際の映像はNHK 戦争証言アーカイブスで確認できるので、ぜひ一度見ていただきたい。この筏、たんなるプロパガンダのネタではなく、沿岸輸送用として約50基が建造されたのだという。「これには敵アメリカもビビる!」と豪語するナレーションだが、本当にビビっていたのは、実際に運用させられる乗員であったのは言うまでもない。

※1 機関1年、船体3年といわれる粗製乱造の船。二重底を廃止した上に、機関が貧弱であったため、海峡部の海流に押し負けて座礁轟沈するものもあった。
※2 本来必要な木材の乾燥養生を省略したため、まっすぐ走らない、漏水するなどのトラブルが頻発。やはり機関が貧弱であったので、海峡部の海流に押し負け(ry


5.日本ニュース第142号

大型焼夷弾とはどんなものか、その威力を広く知らせるため2月14日、大阪において焼夷弾の実験演習が行われました。
ここに使われた焼夷弾は支那前線で押収したアメリカ軍のもので、それぞれ20kg、50kgの油脂弾および黄燐弾であります。
一見ものすごい威力を発揮すると思われるこの大型焼夷弾も、訓練ある隣組防護団員の消火の前には、常備の砂、筵、防火用水で立派に消し止められ、尊い実験の結果が得られたのであります。
備えあれば憂いなし。敗戦の面目挽回策にアメリカが唱える日本本土空襲も、たゆまざる防空訓練と必勝の信念の前には全く恐るるに足らないのであります。


解説:「必勝の信念で焼夷弾爆撃も何とかなる!」と鼓舞するナレーションとは裏腹に、映像では屋根瓦が吹き飛び、猛然たる炎を上げる一戸建てが映し出されている。もはや新手のジョークとしか思えない。
当時、内務省より発布された「時局防空必携」なる冊子には次の標語が書かれている。

一、私達は「御国を守る戦士」です。命を投げ出して持ち場を守ります。
一、私達は必勝の信念を持って、最後まで戦ひ抜きます。
一、私達は準備を完全にし、自信のつくまで訓練を積みます。
一、私達は命令に服従し、勝手な行動を慎みます。
一、私達は互いに扶け合ひ、力を協せて防空に當ります。

こんなセリフ、朝礼で唱和していないだろうか?


……さて、ここまで戦争を指導する側の身勝手な理論を並べてみたわけだが、実際に戦地に赴いた人々のコメントも掲載しておこう。


私の見たある参謀は、自分の地位を笠にきて横暴を極めていました。大本営参謀と軍参謀が、師団長や兵団長、司令官も思いのままに動かし、指揮系統と作戦系統を混同して、本当に部下を守ろうとせずに、自分は危険のない場所でメガホンと双眼鏡で指揮し(中略)そして危なくなると、自分だけが島から逃げてしまったのです。

――歩兵第二十九連隊 西内少尉の回想


食料は半定量とし四日分を背負う。その後の食糧は「米軍陣地のもので補給」という命令だ。我が中隊の速射砲四門のうち、白兵突撃支援を二門とし、分解搬送する。砲身は二人、車輪は一人一個、脚は一人一本、それに砲架、駐退機、弾薬箱……。これで密林を突破できるのかと思う。

――歩兵第二十九連隊 峰岸中尉の回想


食糧一人当たり一日七勺(※)の割合で配給を受ける。食も完全に与えず、ただ陣地だけを死守せよという上司の心中は図りがたい。部下の疲労困ぱいその極に達している。このままでは餓死のほかあるまい。
(中略)わずかばかりの米軍をガ島から駆逐できず、その日の食事にもこと欠く状態、思えば思うほど遺憾である。十二月八日までには、どうしても陥らせるぞと出かけてきて、今ここに敵砲と敵機のなすがままに任されて、壕の中にもぐり込んでいる状態は、泣くに泣けず、口惜しいことこの上なしである。
思うに、軍参謀の無謀きわまりない作戦計画のほかには、この敗戦の原因は何もない。もし軍参謀が真の武人だというのならば腹を切って天皇陛下の前におわびすべし。
十二月二十日(中略)食糧は本月中は全然渡らないのだそうだ。現在の手持ち食糧で、この十二月を過さなければならぬ状況になったという。なんという困苦ぞ。歩兵操典に"困苦欠乏に耐えよ"とあるが、これほどの困苦欠乏がどこにあるというのか。軍司令官は第一線将兵を餓死させる気なのか。一体、第一線のこの悲況を知っているのかどうか。

※1勺は1/10合で、米約15gである。陸軍では6合/日が定量であった。

――歩兵第十六連隊 亀岡中尉の回想


勇戦虚しく死んでいった方々には、全く頭の下がる思いである。それにしても、終戦後70年以上を経た今日、日本人の精神構造がより良いものになった、と果たして言えるのであろうか。