グラン・パレの2フロアーにわたり、6つのテーマ別に

 

世界中から集められた絵画、デッサン、版画、彫刻、

 

陶磁器、家具など、200点以上もの作品が展示された

 

「Gauguin, l'alchimiste( 錬金術師(れんきんじゅつし),ゴーギャン)」展。

 

見どころ満載の「錬金術師,ゴーギャン」展【前半】 に続き、

 

後半はタヒチ時代の作品が並びます。

 

1893年 「テハーマナの祖先たち(メラヒ・メトゥア・ノ・テハーマナ)」 / シカゴ美術館

 

ゴーギャンはタヒチへ2度、移住しています。

 

1891年 「私はラロ、あなたはオヴィリ」 / ダラス美術館

 

1度目は42歳の1891年から2年間。

 

出港の前に、妻子のもとを訪れ、それが最後の別れだったようです。

 

 

一般公開されるのは非常に稀な随筆「ノアノア」の

 

自筆原稿も見どころのひとつです。

 

 

タイトルの「ノアノア」はマオリー語で、「かぐわしい香り」を

 

意味するそうで、写真や挿絵ともに、

 

 

現地妻との愛の日々や島の風土、

 

人々などについて、綴られています。

 

1892年 「死霊が見ている(マナオ・トゥババウ)」 / オルブライト=ノックス美術館

 

ベットにうつぶせに横たわっているのは

 

現地妻のテハアマナ(通称テフラ)。

 

ノアノアの中でもこの絵を描くきっかけ

 

となった出来事が書かれています。

 

 

楽園を夢見て、タヒチに移住したものの、

 

資金も底をつき、一旦はパリへ戻り、

 

 

再び、タヒチの地を踏んだのは2年後の1895年のことでした。

 

その後の6年間のほとんどをタヒチ島の首都パペーテで暮らし、

 

最晩年の2年間をマルキーズ諸島のヒバ・オア島で過ごしました。

 

 

「MAISON DU JOUIR(快楽の家)」と名付けた、ヒバ・オア島

 

での住居兼アトリエの玄関も再現されています。

 

 

建物の見取り図もハイテクを駆使して解説。

 

14年前にパリで開催された大規模なゴーギャン展には

 

なかったシステムです。(ダーリン談)

 

1894-95年 「オヴィリ」 / オルセー美術館

 

陶芸家 エルネスト・シャプレの協力を得て、

 

製作された陶製のタヒチの女神「オヴィリ」。

 

ゴーギャンのお墓の横には彼の遺志に従って、

 

この「オヴィリ」のブロンズ像が置かれています。

 

1894年 「かぐわしき日々」 / リヨン美術館

 

1897年 「ヴァイルマティ」 / オルセー美術館

 

 

芸術家・収集家で、友人でもあったジョージ=ダニエル・

 

ド・モンフレッドに宛てたゴーギャン直筆の手紙。

 

何気に、晩年の大作「我々はどこから来たのか, 我々は何者か,

 

我々はどこへ行くのか」のスケッチが描かれているのが、スゴイです。

 

1898年 「白い馬」 / オルセー美術館

 

フランスの美術館ではこんな光景もよく目にします。

 

幼い頃から本物の芸術に触れる機会が多ければ、

 

そりゃ、感性も磨かれますよね。

 

1898年 「おめかし」 / テ-ト・ブリテン

 

1899年 「果実収穫」 / プーシキン美術館

 

展覧会の最後を飾るのは美しい色づかいに

 

目を奪われた、こちらの作品でした。

 

これまで、ゴーギャンの作品に触れる機会はあっても

 

歩んだ人生についてはほとんど知りませんでした。

 

自分が追い求めた楽園で、創作活動に没頭して、

 

芸術家としては恵まれた人だったのかと思っていましたが、

 

この人もまた、ゴッホのように、その人生は

 

苦悩に満ちたものだったのだと思い知りました。

 

ゴーギャンの人生の軌跡に興味のある方は今週末から

 

日本で公開される映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」

 

を鑑賞されてみてはいかがでしょうか。

 

 

なんだか最後は映画の宣伝になってしまいましたが、

 

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