王様は岐伯に聞きました。
「なぜ、寒邪は、最初に太陽経に当たるのだ?」
岐伯はこたえて言いました。
「それは、太陽経が、陽であって、
風府に連なっている経脈だからです。
ですから、太陽経は、陽の中での主なのです。」
王様は言いました。
「さきほど、岐伯は
傷寒の病が治るのは十日以上たってからだと言ったが(王様と熱の病2)
熱は、何日目ぐらいで下がるのだ?」
岐伯はこたえて言いました。
「傷寒は、
七日目には、太陽経の病の勢いがおとろえますので
頭の痛さが少しずつやわらぎます。
八日目には、陽明経の病の勢いがおとろえますので
熱は、八日目から少しずつ下がります。
九日目には、少陽経の病の勢いがおとろえますので
耳が聞こえなかったのが、少しずつ聞こえます。
十日目には、太陰経の病の勢いがおとろえますので
おなかがふくれていたのが少しずつ戻り出して、
何か食べたい、飲みたいの気持ちになります。
十一日目には、少陰経の病の勢いがおとろえますので
おなかがパンパンではなくなり、
舌の乾き、のどの渇きがおさまり、くしゃみをします。
十二日目には、厥陰経の病の勢いがおとろえますので
下腹が少しずつゆるんで、縮んでいた陰嚢がゆるみます。
そして、体に入っていた寒邪はみんないなくなります。
このように、日ごとに深くなった傷寒の病は、
日ごとに治っていきます。」
上古の人が、傷寒の転機と予後を、
このようにはっきりと言いきれるのは、
ずっとずっと、病を研究し続けていたからなのだと思うと、
黄帝内経よりもさらに昔の、歴史の厚さを感じます。