marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(474回目)『自分の立つ軸足の強さを持とう』 作家 曽野綾子(産経新聞: 元旦 年頭にあたり) 

2018-01-20 22:17:20 | 日記
 掲題の表題は、元旦の産経”オピニオン”の「正論」という欄に掲載の作家曽野綾子の評論です。曽野綾子さんは女性に人気がありますね。母の葬儀に来た親族が列車の中で読んだのか、家に来て差し出されたのが産経新聞の「年頭にあたり」という記事の掲題の表題なる作家曽野綾子氏の記事だった。彼女(曽野綾子)はカトリックにも拘わらず正面切ってキリストを信じろとは言っていないというような話。それはそうだろうさと、佐古純一郎のような評論家はまだしも作家が正面切ってキリスト教の伝道をしようものなら、それは作家でなくなる。あくまでそのレールの外に立って、あるいは列車の窓から外を眺めることを示す程度で無ければ、売れなくなること請け合いだ。ちなみにノーベル文学賞をもらった大江健三郎の師である東大のフランス文学者渡辺一夫はキリスト者。だからなのか、大江の物語や本の題名は聖書的な事柄を暗示しているものが多い。
◆昨年来のこのブログで、パウロのかっこええ写真を掲載したものがあったが、その本は実は、パウロの旅を曾野綾子が司祭とカトリック神学者と一緒に巡る旅を著した書物の見開きの写真なのである。彼女は、司祭様と神学者をきちんとその専門性から崇拝されている言葉使いをされていた。
◆キリスト教はいいことやるにも拘わらず1%にも満たない、どうして広まらないのか・・・僕の前にそんな疑問が呈された。僕はこう返答した。「直接、周囲の人がどうのこうのではなく(まったくしがらみがなく・・・これは僕のブログの主旨でもあるのだが)自分の言葉が要求されるからではないでしょうかと」。相手は、おそらくなにを言われているのか分からなかっただろうけれど、仏教との比較を話しているらしいかった。まずは、その曽野綾子の記事というのは
◆*********「自分で立つ軸足の強さを持とう」***************(記事の中程を抜粋)
 ・・・今は「平和」が普通で、「不幸」や「貧困」が目立つ時代になった。一つには人々が寿命を受け入れなくなったからだ。人間はいつか死ぬのである。死ぬという執着点が確認できていない人には、どうしてあげていいかわからない。人生の多くの要素は自分で創るものなのである。・・・(メイン記事はここのところ)
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◆実は、「自分の足で立ちなさい」とは、イエスが、自分を著したその相手の人間に要求を促した事柄なのである。 人間はいつか死ぬのである、という言葉もそれはまさに、キリスト者だからの自覚なのである。キリスト者は、十字架というものが立っている建屋(教会)で毎週礼拝をしているのである。イエスの死と現在の今の自分の生を重ねているのである。パウロは、その手紙の中で語っている「私たちは日々、死んでいるのである。生きているのはもはや私ではない。」とまで言うのである・・・。聖餐式、これはイエスが「私の躰である」といわれ裂いて示したパンと流される血を象徴するブドウ液に預かる儀式なのだが、そこで司式者が唱えることばは、「再び来られるまで、彼(イエス)の死を告げ知らせるのである」というのである。毎週、キリスト者は彼(イエス)の死と自分は必然的に死ぬ者であることを自覚させられるのである。
◆曾野綾子は、最近「夫の後始末」という本を出された。人気がある理由は、女性で有りながらも、その生き物としてのしがらみを捨てきって要るように思われるからだ。女性の多くの不自由は実は自分の思い込みで、自分で束縛しているだけなのではないだろうか。重要なこと、それは彼女は若いころ修道女として訓練され、還俗された経験を持つ方なのであるということです。・・・・


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