出雲大社にお詣りするときに
是非あわせて訪れて頂きたいのが
熊野大社と神魂神社です⛩


今回こちらの両神社へも
しっかりと参拝して参りますね^ - ^🙏

出雲大社を超えると云われる
この2つの神社について
…今回少し詳しくご紹介しますね^ - ^


⛩出雲一之宮・熊野大社

 



熊野神社は出雲一之宮として、
出雲国造の世継ぎの儀式「火継式(神火相続式)」や「新嘗祭」等の重要な儀式では
必ず出雲大社宮司の出雲国造家が直に、こちらへと出向いて行われる格式の高い神社です。
千家に熊野神社の宮司がわざと色々な意地悪や文句をつけながらのやりとりも、狂言のような楽しい伝統儀式のひとつです^ - ^



⛩神魂神社

 

 



こちらは境内の崇高さに圧倒される大好きな神社です。

出雲大社より400年前に建立されたわが国最古の「大社造り」の神殿として国宝に指定されている本殿。
出雲大社は、こちらの本殿の倍率を
忠実に再現して作られたそうですよ🤗

御祭神は、
* 伊弉冊大神(いざなみおおかみ)
* 伊弉諾大神(いざなぎおおかみ)

由緒略
当社は大庭大宮とも云い出雲国造の大祖天穂日命が、此地に天降られて御創建、伊弉冊大神を祀り、出雲大神、出雲国の総産土大神、として天穂日命の子孫(大社町、北島、千家両国造)は元正天皇霊亀二年に至る二十五代果安国造迄祭主として奉仕、斉明天皇の勅令により、出雲大社の創建なるや、杵築(大社)へ移住(霊亀二年・716年)したるも国造就任の印綬とも云ふべき神代ながらの神火相続式並新嘗祭を執行の為、現在も参向されてゐる。
従って大国主命の国譲も、出雲朝廷のもと国造として祭政を執ったのも皆当社が中心で古代の神都であり、種々な遺蹟、伝説も豊富で神奈備山、大古墳群、出土品等貴重な文化財も多く、附近に国庁、国分寺等もあって、神代上古を通じ、鎌倉時代迄は政治、経済、交通の要衝であり、隣接に島根県立八雲立つ風土記の丘が建設され出雲文化発祥の転移を紹介してゐる。又毎年十月には全国の八百万の神々が集い給ふ神在際も行はれてゐる。
本殿は民俗祖先の独創なる日本最古の建築様式で天地根元造の形態を有する大社造として国宝(本殿。内殿。古代心の御柱の一部共)に指定され全国に現存する大社造りとしても最古(正平元年・1346年)のもので素朴雄大、森厳襟を正さしむ本殿内は狩野山楽土佐光起の筆とも伝えられる大壁画九面にて囲まれ荘厳極まりなく、天井の九重雲は(出雲大社は七重雲)日本建国の創業を物語る貴重な神話を伝う。
御祭神は日本民族の大祖に坐し、協力して建国の大業を成し給ひ、夫婦の道を開き、八百萬の神々や萬物を創造産出し造化の神に坐すが故に太古より出雲大神として結縁、授兒、安産、開運、商工繁栄、邪霊、病魔、厄難退散、農作豊饒、畜産繁栄等の御神徳は勿論、両大神が天の浮橋を使用された伝は明に物に乗ることの始めで造船、海運、漁業海上安全、陸上の交通安全の守護神として、又火の神を産むまして火器の発達を促しました故事により、製鉄鋼、竈、汽鑵、鍛冶、窯業、醸造等、火を利用される人々の守護神として霊験高く殊に戦時中は人命を尊重救助し給ふ大神の御神徳に肖る為め、多数の人氏子祈願参拝者で、雑沓を極めたこともある。
先年照宮成子内親王殿下御降誕の節御殿に伺候、皇后陛下の御母宮久邇宮大妃殿下御参拝を賜ひ、又三笠宮親王殿下、義宮親王殿下にも親しく御参拝あらせられ、国宝並に壁画の御見学を賜るなどの栄誉を頂き誠に恐懼の至りに堪へない処である。
~神魂神社 案内より引用


ちなみに出雲国造家は、南北朝時代にその相続争いの解決策として、2つの国造家をつくり等分に祭事を分担するという案が採用されたため、現在も出雲大社の宮司を務める千家国造家の他に北島国造家があり、千家国造家は「出雲大社教」、北島国造家は「出雲教」とそれぞれの宗教法人を主宰しています。

千家国造家の「火継式」や「新嘗祭」は前記のように「熊野大社」で、北島国造家では「神魂神社」で、それぞれ行われているそうです。




あなたのお幸せをしっかり胸に抱いて
祈念して参ります。

愛と感謝を込めて
ジュリエット