土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

2018年 正月の風景(新勝寺・笠森観音・長福寿寺・犬吠埼)

2018-01-16 15:53:00 | Japan
 
 平成30年の(2018年)の新年をお祝い申し上げます。
 本年が良い年でありますようにお祈り申し上げます。

 正月3が日も過ぎて4日からが仕事始めの方もいて
 3日は帰省ラッシュにも拘わらず帰宅された人達が
 大勢いました。本当にご苦労様です。 
 これも正月の風物詩ですね。
 
 そういう私も現役の頃は休み返上で出社していました。
 良し悪しは別として、
 今思うと休まずに仕事ができる強靭な肉体と強固な精神を
 兼ね揃えていたものと考えています。 
 
 今は、あの頃が懐かしく感じられます。
 新年早々に↘気味の話になりました。

 名誉挽回、正月の賑やかな風景です。
 と言っても、いつも光景ですが、まずは三社詣
 
 正月の風景と言えば、言わずと知れた「ここ」です。
 正月3ケ日やその後の3連休は外し11日の木曜日に行ってきました。

 正月3ケ日は最寄駅から約1kmの参道は幅いっぱいの初詣客で
 身動きが取れない状態になり、それこそ牛やカメの歩みになります。
 これも又、正月の風物詩です。

 当日は普段の日にも拘わらず参道は多くの人で賑わっていました。
 鰻屋さんは大繁盛で整理券を配るほどの行列でした。
 特に本日はいい日(1/11)で沢山の会社員です。
 そういえば昔日に私も御護摩祈祷されたお札をもらいに行った覚えがあります。

 それでは、

 正月11日の参道の様子。


 鰻屋さんの前で渋滞していました。理由は並んでいるのです。


 多くの会社員諸氏が見受けられます。


 旅籠も営業しているようです。


 総門。三が日は門幅いっぱいの人混みで警備員が規制・誘導をします。


 縁起物売りの露店も全開です。


 仁王門をくぐります。
 正面の左側が阿形で右側が吽形の仁王様です。(正式な名称は難しいので割愛)
 阿形は「あ」だから口を開いています。吽形は「うん」だから口を閉じています。
 二体で「阿吽の呼吸」で伽藍の守護をします。


 左右にカメがいる仁王池を渡り


 いつもの急階段を上ります。
 33段あります。何か意味があるのでしょうね。


 大本堂前大広場(境内)


 常香炉は沢山の人だかり。


 大本堂

 
 本堂内での御護摩祈祷


 大本堂から大広場(境内)を見る。


 左から「三重塔」(重文)、「一切経堂」と「鐘楼」

 
 鐘楼前から大本堂を見る。


 大勢の会社員


 釈迦堂(重文)


 額堂(重文)


 光明堂(重文)


 新築の「医王殿」と「平和の大塔」

 以上、「成田山金剛王院新勝寺」の正月風景


 参道を上って山門前に出る


 山門の手前右側の崖面に芭蕉翁の句碑がある。
 「五月雨に この笠森を さしもぐさ」
 歌意の説明はありません。写真を見る度に、その情景を想像しています。
 ・「雨」と「笠」と「さし」は縁語ですね。
 さしもぐさは 「かくとだに えやは伊吹の さしも草」と同意で「よもぎ」をさします。お灸に用いるもぐさの原料です。
 その「よもぎ」を四方懸造」の「四方木」と掛けたのではないでしょうか。想像や風景が広がります。
 「五月雨を あつめて早し・・・」よりも風情があるように感じます。 


 山門(二天門)


 境内風景


 同上


 観音堂全景
 建築様式は「四方懸造」(重文)


 急階段は渋滞

 以上、「笠森観音」の正月風景。


 ゾウさんのお寺


 右側のゾウさんが 願掛けの「吉ゾウくん」
 左側が恋愛と縁結びの「結愛(ゆめ)ちゃん」


 ここは由緒ある古刹なんです。
 大棟の棟紋と破風鬼の紋を見てください。何と


 恐れ多くも菊の御紋です。
 歴史を語ると延歴17年(西暦798年)から始まります。


 秋には「コキア」、


 初夏には「ベニバナ」が花をつけます。
 花はアザミににています。最初は黄色で、その後、赤く染まっていきます。


 全景図

 以上、「長福寿寺」の正月風景


 2018年は初日の出が近くの陸橋から見られました。


 同上。近くには富士見町と言う名もありますので、以前はこの陸橋からも
 富士山が見えたと聞き探していますが見つけられません。


 ところで、本州において山岳や山地ではなく平地で最初に初日の出が見られる
 場所はどこでしょうか?
 

 それは、ここ「銚子の外れ」です。蛇足ですが、銚子電鉄には「本銚子」と言う駅があります。
 銚子の人は駄洒落が上手でお洒落です。


 上図を右(西側)に振ります。

 さらに右(南側)へ


 大写し


 犬吠埼灯台
 九十九里海岸にちなんで灯台の階段数は99段です。設計者の粋を感じます。

 同上


 灯台崖下南側の海岸


 同上、北側の海岸


 ここ屏風ヶ浦は延長約10kmあり、崖が白いため、日本のドーバー海峡と言われています。


 上図の台地ではキャベツが栽培されています。その畑を通り抜けて台地の最高地点が


 ここです。

 ここは愛宕山の地球展望館の入口にある「日比友愛の碑」です。
 何で、ここ銚子市のここにあるのでしょうか。
 それはフィリピン・ルソン島のレガスピ市と銚子市が姉妹都市である、と、
 田代博著の「世界の富士山」から引用しました。詳細は参照されてください。
 著書にあるルソン島、バターン島やレイテ島は懐かしくレイテ島のタクロバンへは
 仕事で行きました。イメルダ・マルコス夫人の出身地で海岸にはマッカーサーが
 上陸してくる異様に感じる銅像が立っています。

 
 「日比友愛の碑」建立の能書板。
 「民族が互いの恩讐をこえて」意味深な言葉です。
 恩讐と言えば我々の年代では耶馬渓にある「青の洞門」を思い出します。
 大分県の山国川沿いの交通の難所を禅海が手のみで掘った洞門ですが、
 菊池寛のそれはフィクションです。


 銚子市は醤油でも有名です。


 同上


 何で銚子で醤油造が盛んになったかは
 
 ①銚子沖で寒流(親潮)と暖流(黒潮)がぶつかり、夏涼しく冬暖かくて湿度が高い
  温暖多湿な気候風土であり醤油造に不可欠な「こうじ菌」等の微生物の熟成を可能にした。
 ②醤油の大消費地である江戸と利根川と江戸川を経由してつながっていた。
 ③戻りの船で利根川沿いで原料(大豆等)を持ち帰る事ができた。
 
 ちなみに醤油の醸造過程は
 
 ①蒸した大豆と炒って砕いた小麦にこうじ菌を加え「こうじ」を作る
 ②「こうじ」に食塩水を加え「もろみ」を作り、約半年タンクに仕込み発酵、熟成させる
 ③発酵した「もろみ」を布に包み徐々に圧搾する。=「生しょうゆ」
 ④加熱し殺菌しながら香りや色を整える。=「火入れ」
 ⑤出荷前品質検査
 ⑥容器に詰め出荷

 以上、銚子の醤油工場見学時に映画上映→工場見学での受売りです。

 
 ・・以上・・
 
 
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