無鄰菴の最後は「無鄰菴会議」の舞台となった洋館。
日露戦争開戦前の1903年4月21日、
その時の顔ぶれは元老・山縣有朋、政友会総裁・伊藤博文、
総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎である。

 



と云っても、実際この建物を観た感想は洋館と云うより、
日本古来の土蔵造りに近い感じがしたが、
信頼できる情報筋は煉瓦造り2階建の建物と解説していた。

 

 

 

 

 

 



正確な事は分からないが、

明治31年に建てられているので、
この時期ならではの建築手法かもしれない?

 

 

 

 

 





取り合えず中に入ってみる。
一階は倉庫に使われていたとしているが、
扉はまさしく重厚な蔵の扉…
現在は室内は全く新しく作り変えられていて、
パネル展示など、資料室として開放されていた。

 

 

 

 

 

 




肝心の部屋は階上なので…
窓枠や階段周りの木材は新しく修復されていると思われる。








 

2階の間はしばしば要人との会見に用いられたらしい。

 

 

 

 

 

 

 



時間が止まったかのような空間には、

椅子、テーブルなどの家具がそのまま保存され、
当時の趣が生々しく残されている。

 

 

 

 

 





贅沢な装飾が施され花鳥文様の格天井…

 

 

 

 

 




まだ温かさが残っているかの様なストーブ…

 

 

 

 

 





要人のぬくもりが残っているのか、
そんな錯覚にとらわれる。

 

 

 

 

 

 

 

 



会議室としてはかなり狭いが、
四方の壁面には狩野派による金碧花鳥図が描かれている。

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

そして隣の部屋には山縣有朋愛用の品々が…

 





 

 

 

 

 

この部屋は会議室よりもさらに狭く、
全景を捉えることは無理なので…

 










傍に山縣愛用の椅子とテーブル。
アームに本が置けるようになっており、
黒い本革の椅子が激動の時代を感じさせている。

 

 




 

この部屋にはその他、
愛用の硯箱など少しだけ展示されていた。

 

 






廊下に出て窓を見下ろすと、
そこにはいつもと変わらない岡崎界隈…

 


そして眼下には創業400年を誇る瓢亭。
老舗高級料亭で京都人でも敷居が高く、
一般庶民では一生の内で行けるかどうか?
私自身、玄関さきのわらじと笠を何度も目にするも、
未だ一度も入った事が無い(笑)。

 


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