「美の意識者」と「美の体現者」について、書きかけの記事があったのですが、間違って「公開する」ボタンを押してしまい、慌てて削除したら、元の記事が消えちゃいました汗ご覧になった方がいらしたら、ごめんなさい汗タイトルが変わるかもしてませんが、機会を見てまた書こうと思います。

ブルースターそれと、先月末に沖縄に行き、感じたことがあったので、ちょっとだけ、書き留めておきます。
(追記:途中に神仏云々と出てきますが、私が実際に確認できたことではないので、私の妄想として読んでくださいませ。)

沖縄旅行は、姉妹会社と合同での、2泊3日の社員旅行で、とても楽しい良い旅でした。
1日目は沖縄ワールドからガンガラ―の谷、2日目はちゅら海水族館、3日目は首里城を中心に廻って観てきました。
  ちゅら海水族館の大大スクリーンです メガネ

ほんとはあまり沖縄に興味が湧かないまま旅行に臨んだのですが、実際に行ってみて、ガンガラーの自然やちゅらの海や風を感じて、きれいな空気をいっぱい吸って、・・・アジア的異国情緒と沖縄の歴史を肌で感じることができきて。行ってきてよかったですハート

1日目、夕食の後にホテルの外へ繰り出し、数人でライブハウスに行きました。沖縄の民俗音楽に浸るためディープなところを狙いましたが、場当たり式で探して行ったので、軽めのお店で妥協することに。でも結局は、そこに行けてよかった。ふきだし

ライブですが、アマプロの女性2人での演奏と歌。「イヤサーサーッ」とか「ハーイヤーッ」とか、合いの手で声をかけ合っていると、沖縄のリズムって不思議なもので、渦巻きのような旋回するようなうねりがあって、聴いていると体のほうも一緒に揺れてきて、踊りたくなるのですね。次回また沖縄を楽しむ時には、ライブは立って聴こうと思います。音符1音符1
 
そして、この立ち上がって踊りたくなるほどのパワフルな音楽ですが、どことなく暗いひびきを感じるので、この暗いものはどこから来るのだろうと、沖縄の音楽のことを調べると、沖縄周辺独自の三線(さんしん)という楽器が持つ、「ドミファソシ」しかないという沖縄独自の音階で成り立っているらしいのですが、この音階に、沖縄の歴史が映し出されているかのような気がしてきます。


ブルースター実は、沖縄に初めあまり行きたくないと思っていたのは、安定した世の中に導ける神々がその土地にあまり居ないような話(※)を聞いたことがあったから。そういうところを避けたい気持ちがあったように思うんです。
でも、今回、その沖縄に行ってみて、そんな自分を恥じる思いが湧きました。
※この時期に限った話だと思います。聞いた話では、もう少し違う表現だったのけれど、この場でどう表現していいか分からないので、このような書き方で、ゴメンナサイ。
 
二人組の女性が歌ったいくつかの曲の中に、「童神(わらびがみ)」という歌がありました。
天の恵みを受けて生まれたばかりのわが子を、健やかに育てよと願いを籠め抱きながらうたう母親の歌なのですが、なんて温かで、穏やかな愛のあふれた歌なんだろうと、そんな光景を思い浮かべながら聴いていると、・・・涙が出てきて・・・
もう~やだ~汗なんでこんなところで泣けちゃうんだろ、もう~aseと思いながら、泣いているのを皆に覚られないよう、(最前列だったので)他のメンバーに背中を向けて、頬杖ついて目と頬を隠しながら聴いていました。

 
ブルースター沖縄の歴史を改めて紐解くと・・・
沖縄は、かつては中国の「明」の冊封(さくほう)国として明に守られ、優遇的立場を得て経済も潤っていました。けれども江戸時代に琉球征伐を受け薩摩藩に従属されてからは王朝の権威も貿易も衰え始め。。それでも琉球は当時の「清」への貢物を止めず、日中両属の体制をとっていたので、明治政府になってからは、琉球処分と言って、琉球王朝の廃絶・日本への編入を余儀なくされた・・。

日本の沖縄となっても、独特の文化もあって、日本の中ではどこか蚊帳の外のような存在で、県政もなかなか整わず。
太平洋戦争が始まった時には、本土決戦の捨て石と位置付けられ、いわゆる沖縄戦争と言われる戦いを強いられ、大量の沖縄県人の命が奪われました。「さとうきび畑」とか「マブニの風」とか、鎮魂・反戦の歌がいっぱいできたくらいですから、想像を絶するほどの凄惨を極めたのだと思います。
その間にアメリカに土地の権利を奪われ、その後沖縄返還で土地の所有権を奪い返したけれど、駐留軍の問題は残り、未だに奇異な位置づけを引きずっている。。

地元に居なければわからない錘(おもり)のような歴史を、沖縄の方々は背負って歩んできたんですよね。
 
ブルースター琉球王朝の歴代の王は短命で、どの代も長く続かずで、権力の入れ替わりも頻繁だったことから、この頃からのものが何かあるんだろうか。。? 
庶民はとても貧しかったので、飢えを凌ぐため、なんでも食べたと聞きました。

永年にわたり人々が祈ってきたのは先祖の供養と、生き抜くための地神さまへの願い。神仏を通じて悟りを開くような高い教えに触れる機会に恵まれず、求めようともしなかったという。なぜなら、飢えから逃れ生きるだけで精いっぱいだったから。
 
そんな話を聴いていると、
・・・あの沖縄音階の暗い韻律は、そういう歴史からくるものだったのだろうか・・・?と、遥か彼方の時代からの恨みすら感じ。。
涙が出ました。。
 
それでも、あの渦巻きのリズムあふれる歌のように、力強く生きてきた。
沖縄の明るい日差し、美しい海の色、澄んだ温かい空気をいっぱい感じて、上を向くことを忘れず、思いを歌のリズムに刻み、沖縄の人々は力強く生きてきたのですね。
 
実際に現地で触れ合った方々は気取りのない、親しみやすい人がいっぱいいました。
仮に神格の高い神仏に導かれるような縁(こういう表現でゴメンナサイase)がこれまでになかったとしても、精神性の高い人がいっぱいいるのを感じました。
 
差別や虐げに耐え抜いてきた人は、最終的には強くなる。利口者ではなく、賢者となって、心の広い、本物の強い人になれるはず。心の浄らかささえ失わなければ。
「なぜ沖縄ばかりが・・」とことばがもれるつらい事件は、つらい思いをした人がいちばん強くなれる機会なので、その機会をぜひモノにして、私たち以上に幸せになってほしいです。
 
今回、沖縄に行ったことで、沖縄がグンと身近に感じられ、この先もそんな願いを持って、沖縄の方々を見守って行こうと思いました。キラリねこ


ブルースター最後に、「童神(わらびがみ)」を載せておきます。
 ※夏川りみさんの動画、画像が良くないですが、こちらに替えました。
三線の音で聴くのとは、わずかに音の雰囲気が違うところもありますが、いずれにしてもこの歌を聴いて伝わってくるものは、慈愛そのものでした。