この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





リンクに黒い練習着の二人がいる。
結城先生の背が
二人の前に見える。


片手が上がり、
指が折られる。

具体的な目当てと
達成のための留意点。
それを伝えているのだろう。

背に感じられる無駄のなさに
優れた指導者を感じる。




二人を従えての
スケーティングが始まった。
目の前を行くエッジの深さに驚く。



…………見事だ。


本国で
指導者として
重んじられていたと聞く。


お戻りいただけてよかった。
そして、
お残りいただけてよかった。





瑞月を丸ごと受け入れて
かつ
指導していける指導者が
他にいるとは思えない。

5月、
加わっていただける。
頼もしい。




「キャー
    たけるー!!
    男になってるー
    やだ
    格好いい
    素敵よー!!」



いきなり
背中に突き刺さる声に
思わず振り向いた。


小柄な体が
音響調整卓を置く小部屋の窓から
ずり落ちそうに
乗り出している。

ぶんぶん手を振り回すのは、
興奮の表明か。




音羽コーチ。
……………………けたたましい。
5月、
彼女もくるのか。



咲さんが気に入っている。
〝感謝した方がいいですよ〟
とも
言われた。


………………………………。



瑞月を
あるがままに受け止めてくれている。
それは、
感謝に値する。

多少の難点はあるが、
ショーにはプロの助けが必要だ。
出来る限り
内輪の人間で中枢を固めたい。
有り難く参加をお願いしなければ。

そこまで考えて
今にも転げ落ちそうな姿から
俺は目を逸らした。




高遠が
気になった。
瑞月と並ぶ高遠に
自然に目が行く。




男になってる…………か。


この頃は
ふと気付くと
高遠に見られていることがある。

瑞月だけを見ていた頃とは
意識が違うのだろう。
今日は
ますます感じた。

昨夜、
高遠は
西原と病院で過ごした。
高遠の選択は、
高遠を男にしていくばかりだ。




久しぶりに見ると、
見事な成長に驚く。
鷲羽の名を負うスケーターとして
申し分ない結果を出すだろう。



お前は瑞月を得ていながら
得られない。
そうひしひしと感じる。



出会った日、
瑞月を欲しいと
お前は言った。


手に入らなかった。


しかし、
去らなかった。


そして、
守る
お前は言う。




今、
お前は、
苦しくないはずはない。

だが、
揺れたことはない。
少なくとも
俺には見せない。

〝有子!!〟
血を吐く叫びとともに
結城先生が瑞月に向かった時すら、
お前は瑞月をその腕に庇って
揺らがなかった。




お前は
分かっている。
俺も
分かった。


認めざるを得ない。


瑞月に
お前はなくてはならない。

高遠を失えば
瑞月は
みるみるバランスを崩すだろう。



高遠は
瑞月の世界を作る男だ。
瑞月は
高遠のいない世界で俺に出会った。




まるで
つがいの鳥だな。

同じ動きを写しながら
ゆったりと氷上を回る二人は
同じ魂をもった
一対の存在であるかのようだ。


俺の手は、
胸の勾玉を
確かめる。


自信はある。
あるが、
確める。
感じているからだ。





俺を思いながらも
瑞月の心は
お前に共鳴する。



〝ここがお前の場所だよ〟
〝だいじょうぶだ〟

間断なく
お前が発信するメッセージが
瑞月を
そこに生かしている。



瑞月の翼が
折れないように
広がった世界で不安な思いをしないように
お前は
細心の注意を払って
その世界を守っている。






よく西原を連れ出したものだ。
泣き続ける瑞月が
俺たちには見えていた。


わずかな衝撃も
今の瑞月を閉じるには十分だ。
…………それとも、
それは、
俺の甘い期待なんだろうか。




賑わう雑踏
沸き立つYOSAKOIのうねりの中で
瑞月は
泣き止んでいた。
泣かずに待っていた。




いや、
あのとき
お前が待っていたのは…………西原だ。



だから、
高遠は
西原を連れていかねばならなかった。




広げてやった世界は
まだ崩れていない。
二度と心の深奥に逃げ込ませたりしない。

お前はそう決めていた。
広がれば広がった分、
お前は守る。





また、
目の前を過ぎる三人の師弟。


瑞月の眸は
魅入られたように
前を行く動きを見詰めている。
ただ
その動きを写しとるだけに
集中するお前。


キュン
甦る。
俺は瑞月を守っていた。
高遠のしている全てが俺の務めだった。






カナダの日々、
お前がいつ倒れるかと
リンクサイドで
俺は
張り詰めていた。



揺らぎはないか
曇りはないか

僅かな兆しも見逃すまいと
ただ見詰めていた。


そして、
願うようになった。
生きてくれ
生きてくれ
高遠も
そう
願ったのだろう。

そして、
今も、
そう願っている。




今、
幾重にも
瑞月は守られる。


「瑞月君!
 あと一周だよ。
 もう一周したら抜けなさい!」

結城先生の声が響く。


もう
止めさせたい
俺がそう感じるとき、

その声は
必ず指示を出す。


あと一周……………………。
そうだな。
あと一周だ。




「まだ
 だいじょうぶに見えるがな。」

マサさんが
西原に
尋ねている。



「この後、
 まだまだ続きます。

 今疲れすぎないように
 時間配分されてます。

 高遠と瑞月では、
 基礎体力から違います。」



西原も見ているな。
だいぶ勉強したようだ。

そして、
見詰めている。
瑞月を
見詰めている。
リンクを見詰めている。


そうだな
西原
お前は
リンクに気を配れ。

どんな姿が
平常なのかを
叩き込め。

僅かな変化も
気付けるように。




瑞月…………………。



そのしなる腕に
月光が
冴え冴えと浮かぶ。

濡れ縁に
解けて流れる帯
お前はその腕を俺の背に回し
俺の名を呼んだ。

〝海斗…………〟




思い出すだけで
愛しさに
体が熱くなる。

……………………。


俺も
見詰めていた。

愛しい者を見詰めていた。

………………………………。





「瑞月くーん

 ますます
 しっとりしちゃってー
  
 素敵な夜を感じるわー。
 楽しみ楽しみ」


耳を疑う言葉が
無遠慮に
飛び込んできた。


頭の中を覗かれたかとすら
感じた。


瑞月との夜が
瞬時に
霧散した。






この…………

体が震える。
この女、
コーチじゃないのか?!

いったい何を教えてる?
それが
指導者のセリフか?!




「なかなか
 さばけた先生じゃねぇか。
 ドキンとしたぜ。」

マサさんが
のんびり声を上げる。


「困ります!」

自分の声が
妙に上擦っている。
微かにまずいと感じた。



俺は
自分を抑えるか迷った。
こんな言動を
イベントで披露されたら敵わない。


俺は声を上げようとした。


「ドキンじゃ済まないです。
 次は…………」

西原の返事が聞こえていたが、
構わない。




「音羽さん!

リンクの空気がビリビリと
反響で震えた。

ぎょっ
した。

俺の声かと思った。




結城先生が
真っ赤になって
突進してくるのが見える。

追っかけてこようとする瑞月は
高遠が抱き止めた。

…………先生だったのか。



「ああ、
    今日は長いかもしれない…………。」

西原の呟きが聞こえる。
〝今日は〟
〝今日は〟ってことは、

「いつものことって
    わけだな。」

マサさんの声が
応えてくれた。




ジャッ

結城先生は
止まった。
その音にまで怒りは滲んでいる。


小部屋の窓を挟んで
コーチ二人が
睨み合った。



「いつもお願いしてます。
 もうすぐ
 外で滑るんです。
 今から
 言葉に気を付けてください!」

ああ、
ちゃんと言ってくださった。
当然だ。


だが、
おかしい。
女は全く動じない。


「その演技を作り上げるのが
 私の仕事です。
 気持ちは大事でしょ?

 瑞月君は
 感じたままに滑るんです。
 それを受け止めなきゃ
 演技は命を失います。」



それは演技の話だろう。
リンクにあられもなく響き渡る
〝素敵な夜〟って
何なんだ!?


「だいたい、
 体が弱い子なんです。
 練習にも障る。

 私は
 ショーまで瑞月君を引き取りたいくらいなんです

 いちいち煽るのは
 止めてもらいましょう!!」


…………え?

なんだか矛先が違う。



「総帥!!」

結城先生が俺に向き直った。



後ろからは
マサさんのくすくす笑いが聞こえる。

マサさんは、
今日、
よく笑う。




イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。



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