この小品は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





「綺麗ですよねぇ」

知ってる!
うるさい!!



田中は
高原の空気の中でも
鼻の頭に汗を浮かべる。

で、
鼻息荒い。


荒いまま
今にも
脳の血管一、二本ぶち切れそうな勢いで
口角泡を飛ばしながら
俺を揺さぶる。


だから!
ツバかかるって!!


俺は
与えられた椅子に
据えられた置物よろしく座らされ
瑞月の撮影を眺めていた。





車に放り込まれ
延々運ばれて
ドアを開ければ空気はひんやりと
俺たちを包んだ。


どうやら貸し切ったらしい
古風なホテルが
高原の緑の中に
静かな佇まいを見せていた。


そこここに
エキストラらしき姿が
パラパラと群れていて、
撮影隊は
きびきびと動き回っていた。


評判は上々。
意気も上がるというわけか。
俺以外
打ち揃って
えらく熱を帯びている。


で、
白麻の上下に
キザなピカピカの靴を履かされ
頭をポマードに固められ
俺は撮影待ちだ。



瑞月は
夏らしい涼しげな着物姿だ。
足さばきに僅かに翻る裾が柔らかく陽に透ける。
身頃に咲く花々が清楚な姿を
いやが上にも引き立てる。

…………綺麗だ。
いちいち騒ぐな。



庭のそぞろ歩き
階段の踊り場に佇む姿
そして…………喫茶室か。


「あ、
 ぼく、
 コーヒーだめなんです。」
という瑞月に、
田中はミルクティーを用意した。


ティーカップをつまむ仕草の
可愛いこと。
その指先ときたら、
もったカップより作り物めいている。

人のそれと思うには、
あまりにも繊細で
名工の手になるビスクドールのそれのようだ。



ギャーギャーとうるさい田中に
張り付かれながら、
俺は見とれていた。



「そうだ!!」

一段とうるさい。
何事だ?!


眉をひそめる俺には構わず
田中は
ドタドタと騒々しい足音を立てて
庭に駆け戻っていった。



真っ赤な顔に
汗を垂らしながら
田中がもってきたのは、
いや
連れてきたのは…………男だった。


エキストラの一人らしい。
旧制高校生といった役柄だろう。
真っ白なYシャツに学帽だ。

大した優男だ。
しかも、
ずいぶんと引っ込み思案らしく
瑞月を見て
耳まで赤くなりやがった。



昔風だ。
今風じゃない。
それはいい。



瑞月の横のテーブルに押し込まれて
しどもどしている間に
コーヒーカップが
どんと置かれた。


 避暑地のホテルで
 綺麗な少女に
 恋心を抱く旧制高校生


目の前に大正時代の高級ホテルで
繰り広げられる初恋風景が
見事に出来上がった。


「わー
 一人じゃ恥ずかしかったの。
 嬉しい。」


真っ赤に茹で上がった旧制高校生を
お前は
卒倒させるつもりか?!
甘え声。



「あ、
 瑞月君は、
 そのままミルクティー飲んでてね。」

すかさず
田中の声が飛ぶ。



「はーい。」
澄まして
また
お前は
カップを口許に運ぶ。


コクン……。

か、
か、
かわいい!



ごくっ
生唾を飲み込む音が
聞こえた。

カチンコチンの旧制高校生らしい。




「瑞月君、
 ちょっと来なさい。」

俺は
瑞月を呼んだ。
思わず呼んでしまった。


二人の初恋は
窓辺近くのテーブルで繰り広げられていた。
俺は
入り口近くのテーブルにいた。



呼ぶと同時に
俺は
立ち上がった。

何でもいい。
そうだ。
喘息の薬を飲ませていない。

気温の変化が激しかった。
飲ませるタイミングがなかったが
今飲ませよう。

そう思い付いた。




瑞月が
俺の声に
パッと振り返る。

ああ
花が咲く。

嬉しそうなお前の笑顔が
真っ直ぐ俺を見ている。

ぴょん
お前は立ち上がる。

俺は一歩踏み出した。

その途端だ。



「あ、あの…………。」



瑞月の手が掴まれていた。

白魚の指先を
やけに武骨に見える手が
握り締めている。


「きゃっ」

お前の悲鳴が周りに届いたとき、
俺は
もう優男の腕を捻り上げ
瑞月を背に庇っていた。




カーット



俺は捻り上げた腕をそのままに
振り向いた。


田中が夢中で
カメラを覗いていた。
スタッフが蟻のようにたかって
カメラを覗いていた。

うおおおおっ

喫茶室の壁が
ビリビリと震えた。
怒号とも歓声ともつかぬわめき声が
飛び交う。

俺は
腕を離した。



元の椅子にへたり込む音を
喧騒の中
耳に確かめながら、
そっと
瑞月の背を支えた。


熱狂の嵐に押され
倒れてしまうかと思った。



「やりましたね!」

…………何を?



「これ
 凄いことになりますよ!!」

どんな…………?



「うわー興奮した!!!」

興奮は…………した。
瑞月が悲鳴を上げたんだぞ。

…………そうだ。
瑞月を危険にさらしたんだ。


田中!
お前、分かってんのか?!


既視感に惑わされ、
忘れていた肝心なことが
ふつふつと腹の底から沸き上がる。

俺は、
ようやく怒りに辿り着いていた。

「田中さん!」

自分でも驚くほど
ドスの利いた声が出た。


「はい?」

振り向いた田中の
丸々した満面の笑顔に向かって
さあ!
責任追求を始めようとしたときだ。




ふわりと
腕の中から
綺麗な蝶々が逃げ出した。

あっ
虚しく腕が宙を泳ぐ。




瑞月が
優男の前に膝を着いていた。

白魚の手が
そっと
旧制高校生の手を握る。


背後は静まり返り、
俺も凍りついた。





「あの…………ごめんなさい。」

朱唇から零れる
〝ごめんなさい〟が
旧制高校生を射抜くのが見えた。


そうか。
キューピッドの矢は、
こういうのを見た奴が思い付いたんだな。


「…………こちらこそ、
 すみませんでした。

 思わず、
 体が動いてしまって…………。」

その目は
吸い付いたように
瑞月を見つめていた。

そして、

俺は、
それ以上言わせるつもりは
なかった。



「すまなかったね。」

背をピンと伸ばし、
俺は
旧制高校生に
手を差し出した。


瑞月が
嬉しそうに
微笑む。

ますます背筋が伸びた。



おずおずと
差し出された手を
俺は力一杯握った。

少し力は入れすぎたかもしれない。
旧制高校生は
ほっとしたようにぎこちない笑みを浮かべつつ
やや顔をしかめていた。


そして、
覚悟していた声を
俺は背中で受け止めた。


カーット!!



田中の〝カーット〟だ。

やっぱりだ。


その後の騒ぎはもう尋常ではなかった。
国一つ助かったとか
宇宙からの侵略に打ち勝った地球市民とか
そんな感じだ。



「来てます!
 来てますよ!!」

「もう
 神がかってます。
 このシリーズ、
 何かついてます。」


田中が
俺に飛び付いてくるのが、
スローモーションのように
やけにゆっくり見えた。



両手を捕まれた。
俺は
まさか〝キャッ〟とは言えない。

鼻息も
汗も
つばも飛ばし放題に飛ばしてるが、
そこに涙と鼻水まで入ってるのには
驚いた。


「ありがとうございます!
 感謝します!
 凄いもの
 撮らせていただきました!!」



…………どういうわけなんだろう?
スタッフには
田中の涙が伝染している。


「一緒に見ませんか?」

瑞月が
優男の手を引っ張っている。


ああ、
そこで、
なぜ手を取ってしまうんだ!?



俺たちは
一緒にモニターの前に座った。
瑞月と優男が並んで一番前。
その後ろに俺が立ち、
みんなが囲んだ。


俺は、
瑞月の隣の男を見張るのに忙しくて
ろくに画面を見られなかった。
もう
見えるものは分かっている。

そして、
俺には分からない。

どうして
みんなが騒ぐのか。



瑞月は綺麗だ。
それだけだ。
完成したCMも見た。


夢のように瑞月は美しかった。
ナレーションは
意味が分からなかった。


〝罪……それは
 あなた。

 無邪気に人を惑わせる美を
 あなたに〟


売れているらしい。
咲さんは
時折
伊東と頭を突き合わせて
こそこそ相談している。

俺は
その度に
胸がちりちりと痛む。


次は…………どうなるんだろう。

だから、
俺は仕事に集中する。

考えるな

考えるな

考えるな

俺には分からない。
分からないことは考えないのが一番だ。


イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。



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