この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。






ジリッ……。

深水は
油の燃える音を聞きながら
時を遡っていた。


「深水…………我は、
 長になったのか…………?」

あどけないとも言える声で
微かに
長は
呟いた。

その声がどんなに愛しかったか。




十年が経つのか…………。



月を得て
長は何を思うのか。
それを考えると、
深水は否応もなくその夜を思う。




 長は鷲羽を割る戦に矢を受け、
 倒れた。


その報に色めき立った周辺の豪族らは
一夜にして
僅か十五の長をめがけて
一斉に動き出していた。

鷲羽の軋みは
既に
十分に広まっており、
同族の争いに乗じてその地に手を伸ばす準備は
既に九分通りできていたのだ。



僅かに二日
されど二日の鷲羽一族存亡のかかった二日間だった。



一日目は死闘だった。
最早敗走するしかないかと思われた瞬間
長は矢に倒れ
神渡は…………長となった。


戦場に轟く雷
照らし出された若き長
その慈愛に満ちた声と勾玉の光。

〝無益なり〟

地に突き立てられた長の剣の下
一同剣をおさめた。


 ……終わった。

思う間もなかった。



「鷲羽の衆よ
 この夜の内にせねばならぬことがある。
 ついてきてくれぬか。」

その声に
怒りはなかった。
わずか十五の少年の眸に
光だけがあった。

戦にあって
それを導く光はある。



 何事かあるのだ。
 この鷲羽が
 生き延びるために

臣らは動いた。
その目の光を知るだけのときを
戦場で過ごしてきていた。


老いた兵士らを集め、
父の亡骸を里へと託すと
しばし
その亡骸に瞑目し、
長は
振り切るように
馬に跨がった。





父を亡くした悲しみに浸るはずの
夜明け、
長は山一つ越した里を見下ろす小高い丘に
潜んでいた。



朝まだき
その地を統べる館を擁する里は
静かだった。


待つほどもなく
館へと
ぱらぱらと
人影が集まり始めた。
門は開かれ、
人影は吸い込まれる。


館の庭に篝火は一つ。
そのゆらめきの中に
立てられていく槍の穂先が
鈍く光る。


館の門が聳え立つ。
そして、
それは開いていた。




「参る。」

一言残したなり
長は馬上にあった。

ただ一騎
丘を馳せ下る。

その背に燃え立つ炎が
鷲羽の兵士らの目には明々と見えた。
それは
既に伝説となっていた。


そんなものが見えたのか。
その背を追って馬を走らせた深水には
分からない。


ただ夢中で
追う背中の迷いの無さに
魅せられていた。

昨夜父を亡くした少年が、
その夜の内に兵をまとめ、
今、
目の前を駆けていく。


 なぜ……
 なぜこんなことができる…………?


ただ、
鈍く頭の隅に
繰り返される問いと
それができてしまう背中の強さ。
それだけは覚えている。


長を追い、
門を一気に駆け抜けた。

そして、
庭に駆け込んだその時は、
敵の館の兵士らのど真ん中、
興津の長の前に
馬を下りた少年が
膝をついていた。


「鷲羽を率いる神渡と申す者です。
 昨夜、
 父より跡目を継ぎました。

 前触れもなくご挨拶に上がり
 失礼をお許しください。

 一族郎党、
 抜ける者なく打ち揃って参りました。
 今後ともよろしくお見知りおきを
 お願い致します。」



あっけにとられた深水らの前で
長は
とうとうと後継の口上を述べた。

ただ
年若き者が
年長の者に尽くす礼だけが
そこにあった。


駆け込んだ鷲羽も
あっけにとられたが、
興津の兵士らは
何が起こっているかも分からなかったろう。



篝火に浮かぶ少年は
ごく尋常に落ち着いているし
彼らの長も、
落ち着いていた。


「我らは
 今
 戦支度の最中であった。」

「お忙しきところ、
 不躾に参上いたしました。

 して、
 戦はどちらと?」

「同じ一族でいがみ合う情けなき者共が
 おると聞いたでな。

 そのような輩に束ねられては
 民も哀れと思うた。」

「まことに然り。
 民が哀れでございますな。」

「鷲羽は
 いかがかな?」

「鷲羽は一つにございます。」

少年は
胸から勾玉を引き出し
その手に乗せた。

折しも昇る日の曙光が
庭に差し込む。

日の勾玉は
その光を受けて輝いた。




神渡は、
そうして長を継いだ挨拶を済ませ、
戦うことなく周辺一の一族
興津と親交を確かめた。



戦支度の兵士らに囲まれながら
後継の挨拶をしてのけた神渡は、
興津の長に一目置かせた。


既に都へ
宮中へと
一族の進む道を定めた興津と
開墾に
交易にと
民の中に進む道を定めた鷲羽とは
その後
尋常に付き合いを続けてきた。



それが
戦の二日目の朝だった。


「いきなり
 命をかけてはなりませぬ。」

里へと向かう道すがら
思わず深水は
嗜めた。

深水は
二十五歳を数えていた。
長に対して十の年嵩の強みがあった。



深水も共に馳せ下った鷲羽の臣も
馬から下りることなく
長の口上を聞いたのだ。


いつでも
神渡を馬に乗せ
興津の館から逃げられるよう
構えたままで
神渡を待ったのだ。



「信義が通じねば
 鷲羽の命運は尽きている。
 そう思った。」

若き長は
短く答えた。
その背に感情は読めず、
苛立った。

 そう
 なぜ苛立つかも分からず
 苛立っていた……。
 今ならわかるがな。

そして、
長は、
馬の歩みを止めない。



もう十二分にやった……。
そう思った。
私は分からなかった。
何のために進むのか。
兵士らは疲弊していた。



興津の館を眺め
戦支度を見た瞬間から
せねばならぬことを覚悟した。

もう一戦だ!
覚悟したことは肩透かしを喰らい、
今こうして
皆無事に馬を歩ませている。




一兵も損なわず
鷲羽は興津を手に入れた。
しかし…………。
振り返れば、
この無茶な行軍に
足を縺れさせながら付いてくる兵士らが見えた。



「どこへ参られます。」

「死人を出したくない。
 急ぐぞ!」


長は
止まらなかった。




二日目の昼を
皆は
鷲羽を懐に抱く里山の麓で
迎えた。

興津を見下ろす山は
その逆を望めば
鷲羽を見下ろす山を見遥かす。

どれほどの道のりを
この者らに
歩かせたのか……。


兵士らは
昨夜来の勾玉の奇跡に引き摺られ
ここまで来たようなものだった。





長は
ようやく止まっていた。


止まったとなると、
その背中が
ひどく儚げに見えた。


思わず
馬を寄せ
その肩に手を置きたくなった。


私は
そして
そうしたのだ。

が、
私の手が
長の肩に触れる前に
声は響いた。



「我は頂きに上る。
 東の道を残し
 山に火をかけよ。」

なっ……
馬鹿を言うな!!
怒鳴り付けようとした。


その
私の横で
長は
手綱を絞り
いななく馬の首を真っ直ぐに
皆に向けた。


「鷲羽の衆よ」

その声は
今立つ鷲羽の里の端々まで
届いていくように思えた。


私も
馬を操り
振り向いた。

長の背の向こうに
皆の姿が見えた。



兵士らは
がっくりと膝を折り
その場に座り込んでいた。
昨夜負うた傷の癒えぬ者らは
肩に手をかけ
顔を伏せて喘いでいる。


私は
馬を
わずかに横に寄せた。

ようやく
私はその顔を見た。



その背を追ってきた長は、
静かに目を閉じようとしていた。


ぴたり!
閉じた瞼が呼び起こしたのだろうか。

その胸にある勾玉が
かっ
翠に燃え上がった。


嵐の中に
新たな長を得て輝いた勾玉が
再び
全鷲羽の男らの前で
その意志を示したのだ。


長は
静かに目を開いた。


「我は長だ。
 が、
 我も知りたいのよ。
 果たして
 これが天の定めかを。

 言うた通りにせよ。
 東の道より降り来る者共一人残らず生け捕れ。
 構えて殺すな。」



長は、
ひらりと馬を下りた。
その首を優しく叩き
くるりと踵を返してすたすたと山に入っていった。




なだらかな山裾をもつその山は
その恵みで鷲羽を守り育ててくれていた守り所でもあった。

それが、
この年の桜が散った頃を境に
下草は荒々しく伸び、
交わす枝々は人を拒み、
すっかり相を変えていた。
鳥もその空を渡らず
小さき森の生き物も姿を消した。



民は
鷲羽そのものが朽ちて倒れていく姿をそこに読み…………争いの種は、
見る間に戦にまで膨れ上がったのだ。



山そのものが拒むかの行き難き道を
どう進むやら
みるみる上っていく長の背が
私を突き動かした。



私は叫んでいた。

「松明に火をつけよ。
 東の道を残し
 火をかけるのだ!」

少年が入っていった
その山に火をかけろと
私は
命じていた。


見る間に
それが実行に移されるのを
信じられない思いで
私は見ていた。




〝火だ!〟

〝逃げろ!〟

山のあちこちに声が上がった。
まろぶように
東の道を
人影が
次々と下りてくる。



「捕らえよ!」

いったい
これは!?
いぶかしむ皆の中で
私は
悟っていた。


残党だ。


昨夜の戦場から逃れた残党が
山に身を隠していたのか。
皆も
その顔ぶれに
言葉をなくしていく。


〝無益なり〟
長は
同族の争いに
そう終止符を打った。

〝鷲羽は一つでございます〟
長は
鷲羽を守り
興津の館でそう宣した。



が、
これだけの者が山に潜み、
呼び掛けに応じなかった。

そして、
長は、
今、
その山にいる。




山は燃えていた。
山裾全体に放たれた火は
紅蓮の炎となって
山を飲み込もうとしていた。


その頂きに祀られる社が
赤々と浮かび上がる。
村の社ではない。

〝入らずの社〟
伝えられるそこが……燃える!!
山の頂を越え
その向こうへと渡ることは
鷲羽の禁忌だった。

何人も
長以外の者は
踏み込むことを許されぬ〝入らず〟のそこが…………。



長は…………?!



捕まえるも何も
転がり出てきた連中は
もう
ほうほうの態で尻餅をついている。


 こんな奴らのために……!!


いずれ、
こそこそと里に忍び入り
また争いの種を蒔こうとでも企んでいただろう者共だった。




〝鷲羽は一つでございます〟

朝方の凛とした声が
耳に甦る。



…………なぜだ!?

目に浮かぶ
その晴れやかな笑みに、
腹の底から
沸き上がる怒りにも似た思いがあった。




へたり込んだ小悪党の胸ぐらを掴んで
引きずり起こし
噛み付くように尋ねた。


「お主ら…………。

 もう
 皆
 揃ったか!?

 長を!
 長を見た者はおらんのか!?」



深水様!!


兵士らが
山を見上げて
てんでに指すそこに
社の前に立つ長の姿があった。


巻き上がる火の粉に
炎の息が
長を包むのがわかる。

束ねた髪は逆巻き
その手に抜き放った剣は
炎を映して赤い。


若き長が
天を仰いだ。

その声はよく聞こえた。
皆も聞こえたようだった。
身動き一つせする者がなかった。




「天よ!
 鷲羽の長が
 願い奉ります!!
 
 もし
 我に
 そのつとめ果たす定めを
 お許しあらば
 
 そのお心を
 お示しあれ!!!


紅蓮の炎を前に
その剣を振り下ろす。

カッ……だーん
大音声と共に、
社の前に
真白き壁がせり上がった。


どどどどどどどどっ
どどどどどっ


その壁は
大量の水だった。
山肌を一気に下りくる水に
炎は見る間に消えていく。

そして、
ああ!
我らも呑まれる!!
思った瞬間
その水は巻き上がった。

渦を巻き
天へと帰るように巻き上がる。

どーーん

山が揺れた。


水も
炎もなかった。



う、
う、
うわああああっ

皆、
夢中で山に入った。
腰を抜かした馬鹿者共など
逃げようが
どうしようが構わなかった。


倒れた木が
黒く炭となっていた。
立ち枯れて
なお枝をくねらせて道を塞ぐ木々を
すり抜け
飛び越え
登った。

そして
入らずの社の前に来て
その足は止まった。



すっく
空を差す杉が
ぐるりと社を囲んでいた。
その向こうにある白木の鳥居は
焦げ跡の一つもない。



山は燃えた。
その炎は皆が見ていた。
いつしか
皆がそこにひれ伏していた。


〝入らずの社〟
その禁忌の底知れぬ神域が
皆を押し包む中、
私は
一人
ひれ伏しもせず進んだ。



「深水様!」

誰ぞの声が呼び止めた。
その必死なことは
覚えている。



「祟りがあるなら
 私が
 引き受ける。

 待っておれ。」

私は
そう言い捨て
そのまま進んだ。

祟りなど
気にもならなかった。




今に至る
私の位置は
おそらく
あのときに定まった。


私は、
長以外
ただ一人
〝入らずの社〟に踏み込んだ者だ。



誰にも語れない。
長にも語らない。


私は天女を見た。
その統べる者らを見た。


社に入ると
彼らは
そこにいて、
静かに頭を下げた。



立ち並ぶ衆は
男も女もいた。
子どもらもいた。


村の民と変わらぬなりをしながら
どこか垢抜けていた。
そして、
その向こうが透けて見えた。



皆が微笑んで
私を手招きし
その導く先に
社を背に
それは美しい女がいたのだ。


…………月に
よう似ていたやもしれぬ。


あまりに美しく
ただ美しいとしか
思わなんだが…………。



女は
ふわりと
身を引いて脇に控えた。



社の前に
長が寝かされていた。

ひどく幼く見えた。

あの背中が嘘のように
まだ十五の少年は
頬は柔らかく
その唇は
まだ紅くふくらみを残し
何より
その眦に伝うものがあった。


 痛ましい…………。


そう思った。


俺は
膝をつき、
そっとその伝うものを拭った。


女を見上げ
居住まいを正し、
頭を下げた。

「お救いいただき
 ありがとうございます。」


女は微笑んだ。
微笑んで
その手を上げ
社を示した。


ぽうっ
光るものが
その手に乗せられた。


白木造りの社は
まるで
今建てられたように
真新しかった。

その扉の片方に
丸く円が象られていたのは
覚えている。


ああ日を意味する。
鷲羽は日をいただく者だ。
そう思った。


女は
私の前に立ち
不思議な目をした。
まるで
私を通じて何かを見るような遠い目を。


そして
微笑んだ。

微笑んで
私に手を差し出した。

思わず応えた私の手に
その
光るものが乗せられ
すうっと消えた。


「これは……?」
問おうとした私の前で
その女の姿は揺らいだ。

さーーーーーーーっ

風が吹き過ぎた。



足を踏み入れたそのときから
真綿を詰めたように
風の音も
梢のさやぎも
何一つ聞こえなかったことに
そのとき気付いた。


社は
その陛に
その開いた扉の中の床に
日の象られた扉と対になる扉に
黒く染み付いたものをうきあがらせていた。


血しぶき…………?


見回すと
そこは
ただ静かな境内だった。



 神域は
 何者かに汚されたのだろうか。
 今、
 その力を示してなお
 その跡は消えない。


この扉には
何が象られていたのかと
つくづくと眺めたが
判別はつかなかった。


私は長を抱き上げた。


社に
深々と頭を下げ、
私は
戻った。


皆は
狂喜して喜んだ。
そして、
私は
二つの祟りをこの背に負った。


長への思いと勾玉への疑問だ。



長が
社に着いたときは、
そこは火の海だったと
長は語った。

私は
何も語らなかった。
聞かせてどうなるだろう。


不思議な人々
血しぶきとも見えた社の汚れ


謎は
ときに人を苦しめる。
勾玉は
もう
十分に長を苦しめていた。


そこに
禍々しいものを加えて
その負った重荷を増やす気に
なれなかった。


長の祈りが
その神域を取り戻した。
汚れは残ったが
そこに力は再び宿った。


この十年、
山に異変はない。



長といえども
みだりに踏み込まぬ約定の
〝入らずの社〟
その
代替わりの時に
ただ一人参る場所とされている。


長は
その代替わりにあたり、
〝鷲羽の一つ〟
願い、
山に入った者共を
その手に取り戻した。


それでよい。


その思いは
今も
変わらなかった。


私たちは
皆の待つ山裾に戻った。
民が
集まっていた。


長は
まるで
それが見えたかのように目を開き、
皆に語った。


お山は生き返った、
鷲羽は一つだと。



皆が
喜びに沸く中、
大仰に泣きながら這いつくばって
多田は申し出た。
〝道守りを〟


長は
館に戻り
父上の亡骸に挨拶し、
眠った。


私は
人払いをし
一人
その眠りを守った。


丸二日に渡り
眠っていなかったが
不思議と
私は目が冴えていた。



夜半、
私は
その声を聞いた。


風の音かと思うほど
それは
かそけき声だった。


私の名を呼び、
己が長になったのかと
問う声に、
私は、
その髪を撫でた。


「……深水。」

名を呼ばれ、
その横に添うた。



長は
私の胸に顔を埋めて問うた。

「なぜ
    こうしたいのだろう。」



私は
その背を撫でながら応えた。

「今夜は
   泣かなければならないからです。」


しばらくして、
嗚咽が洩れた。


私は
ただ背を撫で続けた。


「大事ございません。
    よう泣いてくださった。」

しばらくして
そう囁いた。


嗚咽が高まり
その肩が揺れた。


「父者…………。
    母者…………。」


そんな声が
聴こえたようにも思うが、
私は聴いてはいない。


あのように
かそけき声は
聴いてはならぬものだからだ。


「深水がおります。
    いつも
    おります。」



長は、
ただ泣き濡れた。

私は
ただ繰り返した。


  深水がおります

  深水がおります

  …………………………。



翌朝、
陽光に目を射られ
目覚めた。


目覚めると
長は
庭へと続く戸を押し開いていた。


その頬に
もう
涙の跡はなかった。


「深水
    温かかった。」

「さようですか。」

「温かかいと
    泣けると
    教えられた。」

「はい。」

「また
    いつか
    泣いてもよいか。」

「申し上げました。
   深水がおりますと。」

「…………ありがとう。」


私は
室を出た。




人の肌は
人を慰める。



ただ体を寄り添わせるだけで
人は慰められる。


長は
それを学ばれた。



十五を終える前に
女を知られたが、
長は
色には溺れない。


長は飄々と寄りくるものを
その腕に抱く。


相手のある女は求められても
応じない。


抱くことと
愛しむことは
長にとって
重ならないのではないだろうか。


あの夜
私は
あなたを愛しく思い
寄り添った。

抱きはしなかった。
だが、
愛しかった。


その思いは
覚えている。


愛しいから
守り
愛しいから
追った。



こんなにも
勾玉に囚われるのは
その名残だろうか。


わずか十五で背負ったものが
余りにいとおしく、
それがあなたを苦しめないかと思うと
その謎を追わずにいられなかった。



今、
あなたは
持っているだろうか。
愛しいから抱きたいという思いを。

そして、
分かるだろうか、
愛しいから抱くという人の情が。


妻を迎えるとは、
子をなすことだ。


そこに、
必ず情がなければならぬとは
思わぬ。

が、

愛しいものがありながら
妻と子をなすことは
その心を引き裂くやもしれぬ。


愛しいものの心
そして
あなたの心


抱くとは、
慰めるだけのものではない。
あの夜、
私は愛しかった。
抱きたいほどに。

教えてさしあげるべきだったやもしれぬ。


深水は
ため息をつく。


明日にも
姫が現れる。
それを迎える長の言葉が
今から気掛かりでならなかった。

〝お美しい。
 花も色を失いますな。〟

そんなことを
確か
言っていた。
月を傍らに
それを言う……か。


深水は
さらに深く
ため息をつく。

黒猫のお気楽な言葉が
今こそ聞きたかった。


〝だいじょうぶ
 あれだけ
 べた惚れなんだから
 女がキーキー騒いでくれるわよ。

 平然とお世辞言って誤魔化せないって。
 あなた、
 縁談壊したいんでしょ?〟

えっ???
深水は慌てて辺りを見回した。

 …………いない。


あやつはおらぬ。
ということは、
今のは
私の本音なんだろうか。


ぶるぶるっ
深水は首を振った。
この縁談は、
もう決まったことなのだ。


そして、
深水は
またため息をつく。

ジッ……。

油が
ついに尽きた。
間もなく朝となろう。


束の間の闇の中で、
深水は
じっと思いを巡らしていた。

イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。


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