あの大震災から6年たちました。

つらい出来事から被災地の方々は復興にむけて、そして自分の気持ちの立て直しで必死に生きてこられたことでしょう。

 

気持ちを強くとか、前をむいてといわれても、大切な人をそして大切な家を失った喪失感をうめられるものではないと思います。

 

学生が被災地から転校してその先々で心無い言葉にふれ、つらい思いに苦しむというあってはならない出来事の報道に触れるたび、悲しくこころが震えます。

 

TVでみて考えさせられた、内容がありました。

 

学校の対応しだいで生徒たちの命は守れたはずと保護者が声をあげ、その教師たち10名くらいも命をおとしているのですが裁判で教師の判断が問題だったみたいな・・・??

 

保護者さん達のやりきれない気持ちは親であれば皆同じです。でも・・・

 

亡くなった先生の息子さんが教師をめざして勉強していたみたいですが、断念したそうです。

子供達を守るということの大きな大きな心の葛藤があったみたいです。

21歳だそうです。我が家の二男と一緒です。彼はまだその時中学3年でした。

親が教師で震災にあい子供達とともに亡くなったという事実を彼は自分の心だけでなく、たくさんの外側からの力でうけとめなければならなかった。涙がでました。

 

学校の対応が違っていたら子供達は助かっていたであろうと、今も悲しみのなかでたたかっておられる親御さんたち、親である私も同じ立場であるなら怒りに泣き叫ぶかもしれません。

と同時に先生の息子さんが自分の息子と同じ年齢で大きなものを背負って生きているようで苦しい気持ちになりました。

 

第三者の私が思うままをつづることをお許しください。

 

ほったらかしでも毎年春になると、母の日に息子たちがくれたあじさいの葉っぱがでてきます。

6月には花が咲きます。

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