国際離婚、そして日本帰国後、
最初の第一関門は認知症の
母親との再会であった。
その再会には
二つの場面が予測される。
第一は、
半年間も1人娘の帰りを
ずーっと心細く、
待ちわびていた母が
帰ってきた私の姿を見て感涙するシーン。
第二は、
「???どなた様で???」で
私を迎えてくれる強烈過ぎる
衝撃的シーンだ。
この場合、私がいくら娘だと言い張っても
母親を混乱させるだけなので
最悪の場合、
ケアマネに新しいヘルパーとして
紹介してもらう方が
母親の頭の中に
私は抵抗なく入れるだろう。
それなので、私の到着時間に
ケアマネには
母親宅にいてもらえるように頼んでおいた。

友人宅を出て、母親宅までの道のりは
なんとも言えない不安に駆られながら
ガタゴトという電車の音と振動が
私の心臓を圧迫していた。
大丈夫、大丈夫、
母親は娘の私のことを
忘れるわけがないじゃないか。
そう言い聞かせて、心音を
イヤホンから流れる
四分音符のメロディにのせる。

最寄り駅から母親宅までは
早足で徒歩15分。
懐かしい見慣れた街並みだ。
この景観を見ると、帰巣本能というのか
なんだかホッとする。

あれやこれや想いを巡らせていると
母親宅が住んでいる団地に着いた。
エレベーターを最上階まで一気に上がる。
さぁ勇気を出して、ピンポーン!!

ガチャリ。。

母親「あら、あんた久しぶりね。
どこに行ってたの?」

私「 。。。?あ〜〜友人とね、
2、3日、旅行に行ってたのよ」

母親「あら、そうだったの。」

母親の時間は止まっていた。
私が日本を出国をした日から
半年間という時間の流れがないのだ。
私を探しまわった母親は疲れて果てて、
あまりの淋しさと不安で、
“トキ”を止めてしまっていたのだった。

それは全く予測していなかった
第三のシーンだった。

“トキ”を止めてしまった母親の時間に
私はすんなりと入ることができた。
そこには感動も感涙の場面もなく
ごくごく普通の
昨日から今日という日だった。

ワンルームの部屋にある
私が使わせてもらっていた母親のベッドは
私が出国した当時のままになっていた。
ただ一つだけ違うのは
そのベッドには、ぬいぐるみが寝ている。

ケアマネの話では
そのぬいぐるみを私の代わりにして
私がそこにいるように錯覚をしながら
毎日を過ごしていたのだろうと言っていた。
母親はそのベッドの隣に
いつものように布団を敷いて寝ていた。
ケアマネ達が
ベッドで寝るように、母親にいくら促しても
娘が寝ているからと言って
絶対にベッドに移らなかったそうだ。
介護帰国をした時に
米国暮らしの私のために
自分が寝ていたベッドを私に与えてくれた。
私は布団で寝るから大丈夫だと
何度も断ったのだが
母親は決してそれは譲らなかったので
その好意を素直に受け取ったのだった。

ぬいぐるみさん、
半年間、私の代役を務めてくれてありがとう。



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